2015-01-01から1年間の記事一覧

遥かなるトンブクトゥ7モプティ旧市街

モプティもフランスが統治時代に整備され大きな街となったが、以前からあった村が旧市街として今も残っている。港を見学した後私は勿論そこへ向かった。新市街にはコンクリート造りの家が殆どだが旧市街は泥で出来ている。中央に世界的に有名なジェンネには…

遥かなるトンブクトゥ6モプティ港

バマコを発って500キロ。バマコからトンブクトゥへちょうど中間地点に位置するモプティは、マリの中央部に位置し現地の人にとっても旅人にとっても重要な交通の要衝の街だ。北へ向かえばトンブクトゥ、東に向かえばドゴン族が暮らすバンディアガラへ、そ…

遥かなるトンブクトゥ5モプティへ

セグーを発って今日はトンブクトゥと中間の位置にあるモプティを目指す、そこでアマドゥからその後の旅程の返答を待つ事になる。今日も途中の小さな村に休憩がてらに立ち寄りながらの旅となった。その小さな村で不思議な事が起こった。通常私達に群がるのは…

遥かなるトンブクトゥ4セグー

再び北上を続け、バマコより北に約250キロ、最初の目的地セグーに到着した。バマコを発って初めての街らしい街だ。セグーはフランス統治時代に総督府が置かれた事で整備され発展した。そんな経緯からこの街には特段見所は無い。そんな訳もあって旅人には…

遥かなるトンブクトゥ3セグーへ

? ガイドを努めてくれるティメとドライバーのアリと合流し、大きな不安を詰めたままトンブクトゥを目指す私の旅は始まった。街を出ると路肩もあやふやなアスファルトの道をランドクルーザーは疾走する。あやふやな路肩の両側にはアフリカ独特の赤い土が覆っ…

遥かなるトンブクトゥ2バマコ夜

アマドゥと一緒にホテルのレストランに入った。アフリカの電気事情は悪い。レストラン内部もバーの店内より薄暗い。席に着こうとすると蚊が数匹飛んでいるのが確認できた。此処では蚊はマラリアを持っている可能性が高いので大問題なのだ。 アマドゥに促され…

遥かなるトンブクトゥ1バマコ到着

バンコク、ナイロビで二度乗り継ぎをする長い飛行機の旅も、それまでに起こった旅のゴタゴタから比べれば信じられない程何事も無く、旅の期待もあって全然長いと感じる事無くあっけない程に私はマリの首都バマコに到着した。空港には民族衣装を纏った現地旅…

遥かなるトンブクトゥ序6出発

航空会社の立て続けのフライトキャンセルの次に私の旅に立ち塞がった驚異は乗り継ぎ先のバンコクを襲った洪水だった。日に日に水嵩は増し洪水はバンコクへと迫っていった。仕事の合間私は携帯を握りしめて顛末を祈る様な気持ちで情報を収集した。出発約二週…

遥かなるトンブクトゥ序5準備

トンブクトゥへ行きたい!そう決意したとは言え、当初は計画を暖めゆっくりと計画を練ってから赴こうと考えていた。しかしそんな悠長な事を言っていられない状況が起こった。10年暮れに起こった中東の春だ。それがリビアへ波及しカダフィが倒れた時、私は…

遥かなるトンブクトゥ序4サハラ砂漠

アトラス山脈を越えると、それまで緑多かった大地は草木も疎らな荒野へと姿を一変する。ドライヤーの様な熱風が吹く大地を振り替えればアトラス山脈の頂上には残雪が残る。 そこから先は人は疎らに点在するオアシスのみに暮らす事が許される。そこには嘗てイ…

遥かなるトンブクトゥ序3マラケシュ

2010年5月、私はモロッコ、マラケシュのジャマエルフナ広場を見下ろせる喫茶店にてミントティーを傾けながら広場の眺めを楽しんでいた。一日中、一年中祭り騒ぎの様なこの広場が、夕刻になると更に忙しなくなる。 日中に技を競いあった蛇使い、火吹き男…

遥かなるトンブクトゥ序2アザワド

2010年暮れ突如巻き起こったジャスミン革命、それは瞬く間に隣国リビアに飛び火した。以前から欧米に敵対していたカダフィは欧米によって殺害され、トップを失ったリビアは国の体を為さない無法地帯と化した。リビアには貧しいマリのトワレグ族系出稼ぎ…

遥かなるトンブクトゥ序1

これまでシリア、イエメン、私がこの10年間に訪れた国の中で、紛争が発生し当分訪れる事の出来なくなってしまった国々を紹介してきた。最後にもう一つマリの旅を紹介しようと思う。 その前に知名度が低いであろうマリについて簡単に述べておこう。マリは西…

幸せのアラビアを探して 終章

男は私をクリーク沿いの一件の家へ招待してくれた。そこは家と言うより集会所?民族衣装の地元の男達が集まっていた。そこで甘いものが大好きなアラブ人に嫌と言う程甘いアラブのお菓子を頂き、これまた砂糖のたっぷり入ったチャイを振る舞われ、終いには夕…

幸せのアラビアを探して14

イエメンから帰国の為、アラブ首長国連邦のドバイに降り立った。ドバイ、石油で潤った資金を元に、石油枯渇後の未来を見据え貿易と観光に惜しみ無く注ぎ、瞬く間に世界有数の近代都市へと変貌を遂げたシティリゾート。砂漠の中に忽然と現れた摩天楼。嘗て高…

幸せのアラビアを探して13

イエメンを去る朝も大音量のアッザーンにたたき起こされた。早起きは三文の得、空港までの送迎が迎えに来る迄もう一度サナアの街を歩くことにした。 昼は人でごった返す旧市街も朝は人影疎らである。狭い石畳の旧市街をイエメン門を目指し歩いていると何故だ…

幸せのアラビアを探して12

私が次に訪れた山岳部族の村はシバームとコーカバンと言う二つの兄弟の様な村だ。(世界遺産となっているシバームとは同名だけど別の村)コーカバンは高い崖の頂上に位置し、シバームは崖の麓に拡がっている。この二つの村はそれぞれの立地の特徴を生かす事…

幸せのアラビアを探して11

検問で郊外に出る申請を済ませ車は山道を登り始める。我々日本人には荒涼とした山岳に見えるイエメンの山道も、他のアラビアに比べれば随分と緑が多い。山に挟まれた平野には段々畑が連なっている。この緑多い山岳地帯は此処が幸せのアラビアと呼ばれる一つ…

幸せのアラビアを探して10

早朝、一番鶏が鳴く頃、夜明けのアッザーンが鳴り響く。イスラームの街に慣れてない人、いや、慣れてる人でさえサナアの朝は飛び起きてしまうに違いない。サナアは敬虔なイスラームの街、モスクの数が異常に多い。そのモスクが一斉にアッザーンを唱え、それ…

幸せのアラビアを探して9

イエメン建築は昔ながらの高層建築なので、どことなく歪だ。だがそんなところにも風情を感じる。内部は1階はどこも物置、2階は家畜などを飼うスペース。3階は女性4階に男性が暮らすスペースがある。そして最上階にはマフラージと呼ばれる応接間があり、…

幸せのアラビアを探して8

駄菓子屋の前に集まった学校帰りの小学生に捕まった私は出来心で折り鶴を折ってしまった。迂闊だった。あっと言う間に黒山の人だかりが出来てしまい私は一瞬の内に彼等に大道芸人に仕立てあげられてしまった。私の折った鶴を大事そうに持って家に帰る子供達…

幸せのアラビアを探して7

喧騒のスークを抜けそれを取り囲む様に拡がる静寂の住宅街に足を進める。サナアには○○博物館、○○城などガイドブックに名を連ねる様な見所は少ない。なので見所を順を追って 歩きたい様な旅人にはつまらないかもしれない。しかしサナアは街毎世界遺産。建て売…

幸せのアラビアを探して6

ごった返す人々に紛れてイエメン門を潜りスーク(商店街)に吸い込まれていく。狭い通りの両側には所狭しと小さな商店が連なっている。余りに間口が狭くて出入り出来ないから商店の店主はロープを使ってターザンの様に品物を飛び越えて出入りする。 アラブの…

幸せのアラビアを探して5

男は私に近寄り 「何浮かない顔してるんだ?相談に乗るよ!You are happy, so I am happy!」 と言った。彼を見て大概の事はすぐ解ったが、彼の人物が、そして話しっプリがとても面白かったので、私は彼に頼んでみる事にした。すると任せてくれ!とばかりに彼…

幸せのアラビアを探して4

迷宮を抜け漸くイエメン門に到着した。周りを見渡して目を丸くする。街並みもそうだが、そこを闊歩する人々!ダーバンを巻き、腰にジャンビーアと呼ばれる半月刀を指した男達、目を抜かして全身黒いベールで覆った女性達。これまで幾つもの歴史的街を歩いて…

幸せのアラビアを探して3

ホテルに着くと早速私は外に飛び出した。すると早速出迎え?がやって来る。子供達だ。一斉に 「ソラ!ソラ!」 と捲し立てる。私は「空」と勘違いして空を見上げる。子供達はからかわれたのだと思ったのか更に 「ソラ!ソラ!」 と騒ぎ出す。 「そうだよな・…

幸せのアラビアを探して2

きらびやかなドバイ空港を後にして、数世代歴史を遡ってしまったかの様なサナアの空港に到着した。砂埃が混じるからだろうが写る世界が何処か・セピアでまるで古い映画の中に紛れ込んでしまったかの様だ。いやそれは景色だけから来るものではあるまい。辺り…

幸せのアラビアを探して1

イエメン、旅や歴史に興味が無く、報道だけから情報を得ている人々にとってそこは危ない国としか写らない国だろう。事実情勢は常に危うい国ではある。第二次大戦後は資本主義と共産主義の鍔迫り合いに巻き込まれ南北二つにイエメンは分離した。統合後も国力…

無題

人は知らない人、国、事には酷な事を言う。否、知らないからこそ酷な事を言えるとも言える。イスラームを怖い、悪いと言っている人の殆どは行った事さえなければ、酷い人は悪いと言った国の正確な位置すら知らない人さえいる。 勿論これは日本に限った事では…

アンマン4

ローマ劇場のある丘を登ってアブー・ダルウイッシュ・モスクを目指した。今までで一番急な坂、というか階段。高いところからの展望が好きなので自然私の旅に登り坂はセットの様なものだが、今回は特に坂が多い旅だった。それだけ展望を楽しんだとも言える。 …