幸せのアラビアを探して 終章

男は私をクリーク沿いの一件の家へ招待してくれた。そこは家と言うより集会所?民族衣装の地元の男達が集まっていた。そこで甘いものが大好きなアラブ人に嫌と言う程甘いアラブのお菓子を頂き、これまた砂糖のたっぷり入ったチャイを振る舞われ、終いには夕食も御馳走になった。

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 アラブでは日本と同じように靴を脱いで絨毯に胡座を書いて座る。大皿に盛られたのはピラフ。ピラフと言うとヨーロッパ生まれを思い起こすかもしれないが、起源は現在のアフガニスタン辺りであり、そこから近いアラブでも良く食べられるポピュラーな料理だ。スペインのパエリアもイスラームがスペインで王朝を開いていた当時、彼等がスペインに持ち込んだ米料理がルーツだ。

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 夕食の後は深夜の飛行機の出発まで彼等とアラブのボードゲームを教わり彼等と楽しみながら過ごさせて頂いた。勿論下がりかけていた私のテンションは一気にマックスに上がり、お腹も心も満腹になった。何より彼等の心尽くしが嬉しかった。

 彼等に丁重にお礼を言って深夜のドバイ空港に向かった。私の予想を覆し深夜になってもドバイ空港は人でごった返していた。そんな空港の喧騒の渦に巻き込まれながら私はふと思った。モノや金で掴む幸せは人を限定してしまう。が、人の真心から受ける幸せは世界共通、普遍の幸せだ。此処でもイエメンでも、多分日本でも。最新の悦を尽くして作られたドバイの街でも、古来のままの姿のサナアでも、幸せは彼等の心の中にあった。

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 我々資本主義の下暮らしていると、時折勘違いしてしまう事がある。幸せとは多くのモノを持つことだとか、高い地位を手に入れる事だとか、より良い環境に暮らす事だとか・・・。しかしどんな裕福で快適な環境の下暮らしている人でも不幸そうな人もいる。どんなに貧しくても、紛争地に住もうと心の中に幸せを見出だしている人もいる。つまり幸せとはモノや環境や境遇に依存するものでは無く人の心の中だけに存在するものなのだろう。

 であるならば幸せとは追い求めるものでは無い。幸せとは人が生まれながらにして心の中に持っている筈のもの。それに気づき、育み、そして分かち合っていくもの。喧騒の渦に巻き込まれながら耳を澄ませば何処からかあの一文無しの決め台詞が聞こえた様な気がした。

You are happy!so I am happy!

~切り取り~

イエメン、サナア。私が訪れた多くの旧市街の中で一番素敵に感じた旧市街。アラブの心の故郷と呼ばれるイエメンは私の第二の故郷に感じる素敵な国だった。残念ながら地震などで完全な姿を残していないが、サナアで飛びっきり素敵なお土産を手に入れた。サナアの街を模した細工だ。中にキャンドルを入れるとセロファンで出来たカメリア窓のステンドグラスに灯が点るのさえ再現出来る。小さなお店全体全部がこの細工でいっぱいの素敵な店だった。紛争が起き観光客がいなくなったサナアの街で、とても商売は続けられていないだろうが、紛争が終わり、街に平和が訪れたのなら、真っ先に再び手に入れにこの店を訪れたいと願っている。

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サナアに一日も早く平和が訪れます様に
アッサローム アレイコム