遥かなるトンブクトゥ序1

 これまでシリア、イエメン、私がこの10年間に訪れた国の中で、紛争が発生し当分訪れる事の出来なくなってしまった国々を紹介してきた。最後にもう一つマリの旅を紹介しようと思う。

 その前に知名度が低いであろうマリについて簡単に述べておこう。マリは西アフリカに位置しアルジェリアの南方、国の半分はサハラ砂漠、南はサヘルと呼ばれる半乾燥帯を経て南部の熱帯へと続く広大な国土を保有している。干魃に襲われる事が多く最貧国の一つでもある。しかしながら古くはサハラ砂漠の交易で潤い、マリ、ソンガイ王国等が栄えその歴史遺産故に観光はマリの主要産業でもあった。ヨーロッパの植民地支配以降はアフリカで珍しい民主主義が成功した国の一つであり、政情は安定している国でもあった。

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 第二次世界大戦当時、ヨーロッパはアジア、中東、アフリカに於ける植民地支配、そしてそれらの国の独立に際してとても残酷な手法を取った。ヨーロッパに都合の良い様に国境を引き、そして仲の良い民族を国境で分断し、仲の悪い民族同士を一つの国に押し込んだ。何故ならそうすれば、その国を治める政治家は民族同士を纏めあげる事に精一杯となり、宗主国であるヨーロッパに歯向かうどころでは無くなるからだ。

 そうした当時に撒いた憎悪の種が、戦後70年経った今、世界各地で増殖され憎悪の花を咲かせている。現在大きな問題となっているシリアの紛争もその代表例と言える。シリアは元々スンニ派が多数の立地だったが、ヨーロッパは少数派であるシーア派の分派であるアサドを国王に選任した。アサドは独裁政治と恐怖支配で多数派を押さえ込んでいたが、アラブの春が起き押さえきれなくなると、それはまるでダムが決壊する様に止めどない力となって作用し、最早収集の目処さえ立たない。

 そしてそれはマリに於いても同様だった。フランスから独立するにあたって南部の仲の良い民族は国境により分断され、全く異なった文化、背景を持つ北部のサハラ砂漠の放牧民、トワレグ族が同じ国に組み込まれた。トワレグ族は放牧民族故に独自の国を持てずそれに不満を抱いていたし、マリと言う国がアフリカ系民族を中心とする国だから疎外感を感じ暮らしていた。

 だから彼等は常に独立を求め、それがマリの治安を脅かしていたが、マリは地道な努力で平和への道を目指し、一時はかなり効果を上げていた。それは危ない場所には絶対ツアーを組まない某大手ツアー会社が団体ツアーを募集した事でも伺える。しかしそれもアラブの春が巻き起こり、サハラ砂漠の情勢が不安定になると崩れ始める。トワレグ族の独立運動とは別に、アフリカ系アルカイーダ系過激派の動きが活発化し始めたのだ。私がマリへ訪れたのもそんな時分の事だ。それは最早スレスレのタイミングだった。そして恐れていた事は私が旅して数ヵ月後、遂に始まってしまった。まるで悪夢の童話の様な展開で・・・