遥かなるトンブクトゥ序5準備

 トンブクトゥへ行きたい!そう決意したとは言え、当初は計画を暖めゆっくりと計画を練ってから赴こうと考えていた。しかしそんな悠長な事を言っていられない状況が起こった。10年暮れに起こった中東の春だ。それがリビアへ波及しカダフィが倒れた時、私は強い胸騒ぎを覚えた。それはマリとはサハラ砂漠を隔てた対岸の火事でもあった。しかし私の直感は非常に良く当たる事を自分でも良く知っている。今マリへ行っておかねば、一生行けなくなるかもしれない。


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しかしすぐに出発とはいかなかった。マリは4月から10月まで雨期に入る。トンブクトゥまでのダートの道は雨期には泥沼になってしまいクローズしてしまう可能性がある。写真にとっても不都合だ。だが乾期も後半になるとサハラ砂漠の気温上昇と共に砂嵐が起こりやすく空が曇ってしまうばかりか交通にも影響が起こる。コンディションが整う雨季明けが望ましい。果たしてそれまでマリの情勢が持ってくれるか?胃の痛む様な思いでマリへの旅の準備が始まった。

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今回の旅は私には珍しく、事前に4WDとドライバー、スルーガイドをチャーターした。私の行った事の無い西アフリカと言う地域である事、当時はシフト制の仕事に就いていた事、そして何より私の直感が現地の治安情勢の悪化を警鐘していたからだ。

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本来此処まで依頼すれば後は任せておけば良いが、私もマリ大使館を通じ、細かく現地の情勢や世界遺産の現地のコンディション等細かい情報の収集に抜かりは無かった。黄熱病の予防接種、マラリアの予防薬、ビザの取得。一連の細かな準備も整い、やっと事前準備も一段落したと思った時だった。

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私をマリへと運ぶ筈のエチオピア航空バンコクアジスアベバ(乗り継ぎ地)便がキャンセルされたとの通知が入った。これは痛恨だった。何故なら私はバンコク迄の便を払い戻し不可の格安航空券を買っていたからだ。しかしエチオピア航空のスケジュールが変わってしまった以上、それに合わせるしか方法が無い。泣く泣く私はバンコク迄の航空券を買い直してエチオピア航空に合わせた。

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しかしその一週間後である。今度はエチオピア航空アジスアベババマコ(マリの首都)迄の便がキャンセルになってしまった。折角航空券を買い直してまでエチオピア航空のスケジュールに合わせたのに、これではまたスケジュールは白紙撤回だ。これには憤慨を通り越して呆れてしまった。エチオピア航空なんてこちらから願い下げだ!

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結局バンコクから先をケニア航空に全て変える事でナイロビ経由でマリの首都バマコまで飛ぶ事が叶った。この半月に及ぶドタバタを治めてやっとこれでマリへの旅が近づいたと思ったのも束の間だった。