遥かなるトンブクトゥ序2アザワド

 2010年暮れ突如巻き起こったジャスミン革命、それは瞬く間に隣国リビアに飛び火した。以前から欧米に敵対していたカダフィは欧米によって殺害され、トップを失ったリビアは国の体を為さない無法地帯と化した。リビアには貧しいマリのトワレグ族系出稼ぎ労働者が多く移民していた。そして彼等の多くがカダフィの親衛隊として働かされ、そこで最新の兵器と軍事訓練を受けていた。そんな彼等が職を失い故郷のマリへとサハラ砂漠を渡って帰国した。

 そんな最新兵器と軍事能力を携えた連中に目をつけてそして彼等に悪魔の囁きを語りかけた連中がいた。サハラ砂漠を根城に誘拐等を繰り返していたアフリカ系アルカイーダだ。

「トワレグの兄さん達、お前ら独立したいんだろ?お前ら良い武器を持ってるじゃないか?俺達と組んだら夢が叶うぜ?」

 そんな会話があったのかもしれない。悪魔の囁きに身を委ねてしまった彼等はマリの北部の街を次々と陥落させ手中にしていった。驚いたのはマリの国軍である。突然武力も火力も以前とは比べ物にならない敵が襲ってきたのである。彼等はマリの政府に救援を必死に求めた。

 しかしマリは最貧国でありそれに応える事ができなかった。宗主国であるフランスへ救援も求めたがフランスは重い腰を上げなかった。後ろに敵、前に救援してくれない政府。せっぱつまったマリ国軍は切羽詰まってあろう事かクーデターを興し軍事政権を樹立してしまう。こうしてアフリカの民主主義の手本とまで言われたマリは一瞬のうちにして崩壊してしまったのだ。

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 一方敵はどうだったであろう。トワレグ族は独立したかっただけだ。しかしマリの北部を制圧するとアルカイーダは彼等のやり方で行き過ぎた暴力的な手法で街を制圧してく。こんな筈では無かった・・・トワレグ族はアルカイーダに反意を唱えるが暴力的な彼等に敵う訳も無く逆に追放されてしまう。

 そしてトワレグ族を出汁に北部を制圧したアルカイーダはアザワドと言う彼等の主張する国の独立を宣言する。勿論世界がこれを認定する訳も無いが、マリはイスラーム国に先だって過激派の支配、主張する国に国を二分される形となってしまった。

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 その後フランスは重い腰を上げるが時既に遅しである。フランス軍が来れば彼等は蜘蛛の子の様にサハラ砂漠に逃げ込む。逃げ込まれたら地の利に詳しい彼等にフランス軍は手も足も出ない。こうして膠着状態のままいつしか情報さえ少なくなり現在に至っている。


 以上がマリに最近起きた紛争のあらましである。ではマリの旅行記を始めたいが、そもそも私がマリを旅するきっかけとなった2010年のモロッコの旅の一幕から話を始めたいと思う。