遥かなるトンブクトゥ7モプティ旧市街

 モプティもフランスが統治時代に整備され大きな街となったが、以前からあった村が旧市街として今も残っている。港を見学した後私は勿論そこへ向かった。新市街にはコンクリート造りの家が殆どだが旧市街は泥で出来ている。中央に世界的に有名なジェンネには及ばないものの立派な泥のモスクが建っておりそれを取り巻くように街が形成されている。

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 此処でも子供達の手荒い?手厚い歓迎を受ける。子供達の無邪気な笑顔は世界共通、私を励ましてくれる。ちょっと歩けば子供達が集まって撮影大会。

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 時に順番を巡って子供達同士がいがみあったりしてハラハラさせられたりもするが、子供達同士にも社会があって、年長の子供が慰めたりたしなめたり、そんな光景を眺めているのも微笑ましい。本来マリの中心をなすモプティも、国が二分された現在、双方の陣営にとって最前線と言う現状にある。いがみ合い、争い合うばかりはいつだって汚れた大人達の社会だ。

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 ふと見れば泥の家の路地を女性が大きな器を頭に乗っけて歩いていく。マリの女性は誰も見な堂々としていて格好良い。その理由がこれにある。ファッションモデルは美しい姿勢を保つ為、頭に本を乗せて歩く練習をするそうだ。バランスを保つ練習なのだろうが、マリの女性は子供の頃から頭に水や食料、何でも乗せて歩いているから自然モデル張りの歩き方になる。

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 これは医学的にも効能がある。姿勢を正し歩くと胸が張る。すると自然に肺に多くの酸素が吸い込まれる。多くの酸素が心臓から血液を巡れば脳も活性化し明晰になる。良い姿勢は良い思考も生む事に繋がる。落ち込んだ時こそ俯くより姿勢を正すべきなのだ。その先にトンブクトゥも見えてくる筈だ。

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 日も暮れる頃、船に乗りバニ川とニジェール川の中洲に仮の家を構えるバニ族の集落を訪れた。バニ族は漁業で生計を立てる民族で、魚を追ってニジェール川を上下する。彼等のオープンキッチンの夕食作りを見せて頂き再びモプティに戻った。

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 川の畔でアマドゥの返事を待つ私にお土産売りがしつこくつきまとう。いつもならそんな物売りも私の格好の話し相手なのだが、この時ばかりは振り払う言葉の語気が上がってしまう。

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やがてティメが携帯を持って現れた。

さっくんさーん。」

 独特の哀調を持つアマドゥの知らせは最悪のものだった。

「犯人は捕まる事無く、マリ政府は危険を鑑み観光客の撤収を命令、現地に観光客は姿を消しました・・・。」

私は再び言葉を失った。

「なんとか・・・ならんのか?・・・」

 やっとそう返しつつも絶望的過ぎる内容だった。携帯を握り締め無言が続いた。

沈黙を破ったのはアマドゥだった。

「解りました。さっくんさん。しかし陸路では危険過ぎます。航空機を使いましょう。」

 マリの航空機はスケジュールが当てにならず、リスキーな為私が敬遠していた乗り物だった。陸路での車窓の風景も楽しみにしていた。しかし可能性がそれしか無いなら私はそれに賭けるしか無い。アマドゥも国の指針に逆らって、ギリギリの判断を決意してくれたのだ。

 私にしつこく付き纏った物売りが話の顛末を聞いていて再び語りかけてきた。

「君がトンブクトゥへ辿り着ける事を祈っているよ!私はそこで生まれたんだから!」

 見上げればニジェール川に薄い三日月と宵の明星が浮かんでいた。それはまるでイスラームのシンボルの様に。

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