2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

生きている遺跡

?さてバガンは広大な地域名で観光客の基地となる街は三つに別れる。まず一つがニャンウーと言う村で古くからこの地域の交通の要衝だった場所。それは今でも変わる事無く飛行場、バスターミナル、船着き場のどれからもアクセスが良く、当然安宿も此処に多いが…

遺跡は語る

マンダレーを後にして、この旅最大の目的地バガンヘと向かった。バガンはマンダレー近辺に王都が移されるまでミャンマー中央部に栄えた王朝で小乗仏教をこの地に持ち込み、最盛期は4万に及ぶ仏塔が建立されたと言う。今尚2千を越す仏塔が残されていると言…

ミャンマーの食事

?此処でミャンマーの食事について書いておきたい。夕食ではなんと言ってもカレーである。とは言っても外国人に理解しやすい様に便宜的にそう呼んでいるだけと思われ実際は大きく異なるし辛くも無い。現地ではヒンと呼ばれる。山羊ならサッターヒン、鳥ならチ…

アマラプラの落日

ザガインはバガン王朝が滅びた後に勢力を増したシャン族が此処に王朝を建てた後、何度か王朝が代わっている。今どの王朝の史跡も残ってはいないが、歴代彼等が奉ってきた仏塔が山を覆い、マンダレーと同じくザガイン・ヒルと言う大きな聖域を作っている。 頂…

ザガイン鉄橋を渡って

?現在のインワは昔王宮があったとはとても思えない風景が広がる。長閑な椰子が林立する大地には池が点在し、その中に雨季には水嵩が上がるのだろう高床式住居の村がある。それが今のインワだ。残る仏塔は寂れるまま規模もそれ程大きくは無く豊かな自然に飲み…

僧侶達の食卓

?車窓では無かったバイクの後から眺める景色はそれは最高だった。走り抜けていく車、人を物資を過剰に満載したトラック、バス。アジアだなぁとつくづく感じさせるが之ももうすぐ終りかもしれない。 車が増えすぎたヤンゴンでは最早バイクタクシーは認められ…

バイクタクシーに跨がって

朝、私の用意が済むと早速バイクタクシーの運チャンはやって来た。私の経験上こうした個人経営の運チャンは決して約束の時間を違え無い。バンコクのバスのアジアンタイムなのと大違いなのだ。不思議なものだ。 ?街で捕まえるのと違く予約していたからだろう…

マンダレーヒル サンセット

?雨の多いミャンマーらしく登山路は全て屋根で覆われているから暑い日中でも快適なのだが、仏教に敬謙なミャンマーでは登山路も聖域なので靴は疎か靴下もアウトだ。雰囲気的には高尾山と言ったところか?高さはそれの半分以下だと感じた。 ?お土産屋さんが軒…

マンダレーの王宮

?さてホテルに荷物を置いたら早速マンダレーの街巡りだ。マンダレーはイギリスの植民地にされる迄ミャンマー最期の王朝があった古都だ。王宮を中心に街は碁盤目状に整備されている。解りやすいとも言えるが逆に目立つものが少ないので位置を見失い易い。私は…

懐かしき再会

?私を載せたエアアジアは1時間ちょっとでミャンマー第二の都市マンダレーに到着した。(政治的役割ではヤンゴンに代わりネーピードーが首都となった為第三) 目星をつけていたホテルに入った時、懐かしい笑顔に出会った。それははにかんだ様な東南アジア独…

いつだって始まりはバンコクから

ライトアップされたワットアルンをチャオプラヤ川越しに眺めていると様々な思い出が去来する。バンコクは東南アジアの、いや世界のハブとなる街だ。だから東南アジア、中東、そしてアフリカへと旅する毎にこの街を訪れ、そして目指す先へと旅立っていった。…

In the biggining

チャイナエアラインで順調に台北で乗り継ぎを済ませ、経由地バンコクに到着した。値段が安い為かバンコク直行便は豊富にある筈なのに沢山の日本人がこの乗り継ぎ便を利用しているのには驚いた。 しかしもっと不思議に思う事がある。あれ程いた筈の日本人がバ…