シリア、レバノン、ヨルダン

アンマン4

ローマ劇場のある丘を登ってアブー・ダルウイッシュ・モスクを目指した。今までで一番急な坂、というか階段。高いところからの展望が好きなので自然私の旅に登り坂はセットの様なものだが、今回は特に坂が多い旅だった。それだけ展望を楽しんだとも言える。 …

アンマン3

アンマンのダウンタウンのもう一つの魅力は、街の歴史あるものが残されている事だ。この街の歴史は古いから此処には飛びきり古い遺跡が残されている。ダウンタウンを見下ろせるアルカラの丘の頂上にはヘラクレス神殿の跡だと言われる柱が残っている。ウマイ…

アンマン2

現在のアンマンは数多い丘が連なる大地に何処までも街が拡がる巨大な都市だ。そして各丘にはそれぞれ特色のある地域が拡がっている。だからポイントを押さえなければとホテルの美人のお姉さんにアドバイスを伺った。 「そうねぇショッピングならこっち、食事…

アンマン1

さて今回の旅も遂に最終目的地アンマンに到着となった。悔いの無い様に一日を過ごそう。此処アンマンもシリアのダマスカスと肩を並べる程歴史がある街だ。なんと9千年前からの記録が残る。そして此処もダマスカス同様様々な勢力がこの街を支配した。 紀元前…

死海

翌朝起きれば年甲斐も無くはしゃぎ過ぎたのか体の節々が痛む。ロボットの様な動きで車に乗り込んだ。車窓からは月面の様な地形が続く。車はどんどん高度を下げていく。やがて深く沈んだ青色の湖が見えてくる。海抜マイナス418メートル。地上で最も低い場…

ペトラ バイ ナイト

一旦ワディムーサの街で夕食を摂り8時半に再び遺跡のゲートに戻った。今宵は週三回開催されるペトラ・バイ・ナイトの開催日。続々とショーに参加するメンバーが集まった。簡単な説明の後、一団は再びエルハズネを目指す。漆黒の闇の中、一団は道の両側に添…

ペトラ遺跡エドディル神殿

九十九折りの坂道を息を切らせつつ登っていく。振り返ればペトラの大地が小さく見える。道端には何軒もベドウィンの女性が土産物のテーブルを並べている。彼女達は元々この地で暮らしていた人々で遺跡保護の為引越を余儀なくされた代わりに此処での営業権を…

ペトラ遺跡シク岩壁左岸

このガキンチョ君は厄介者だった。何せ土地を知り尽くしている。そして若い。まるで道無き道をどんどん進み猿の様に岩から岩へと飛び移る。傍らは100メートルの断崖絶壁である。私は尻込みの連続。それをからかい半分に彼はプロフェッサー!と私を呼び立…

ペトラ遺跡シク岩壁右岸

恐る恐る覗きこみ、私は二つの意味で大きく息を飲み込んだ。一つは100メートルの切り立った断崖絶壁を覗きこんだ恐怖だ。そしてもう一つは私の勘がビンゴであり、期待していたエルハズネ神殿がそこにあった感動だ。心臓が脈打っている音が聞こえる。心を…

ペトラ遺跡王家の墓

平原部のローマ遺跡を見終えた後、周囲を取り囲む岩壁に掘られたナバテア人の墓を訪ねた。こちらが本来のペトラ遺跡と言えよう。だがとても全部を見る事は出来ない。余りに広過ぎるからだ。だが見所は集中している。それは高貴な人々が眠る場所で通称王家の…

ペトラ遺跡ファザード通り

エルハズネ神殿を右に峡谷を進んでいくと、ちょっとした登れそうな箇所があった。ご丁寧に「登ってはいけません」と看板が立っている。と言う事は何かある。そして多くの人が登ったと言う事。勿論危険だからと言う場合もある。そして遺跡保護の場合もあるの…

ペトラ遺跡エルハズネ神殿

此方を聞いて気分を盛り上げお読みください(笑) 何故ペトラは交易で栄えた街なのにこの様な秘密基地の様な立地に築かれたか?それはこの都市を築いたナバテア人のルーツに秘密がある。ナバテア人はアラブ系の遊牧民族が起源だが、彼等はこの地に移り住んで以…

ペトラ遺跡シクを抜けて

此方を聞いて気分を盛り上げお読みください(笑) ペトラ遺跡は強靭な体力を必要とする。ゲートからシクと呼ばれる峡谷まで徒歩約30分、そこからシクが1・5キロ。その峡谷を抜けてやっと本格的な遺跡が始まる。四方を岩山に囲まれた広大な内部の平原を抜け…

ペトラ遺跡プロローグ

此方を聞いて気分を盛り上げお読みください(笑) アンマンに一泊し待ちに待ったペトラ遺跡に向かう。アンマンを過ぎると車窓からは緑が徐々に消えていき、やがて月面の様な景色となる。途中ドライバーの好意でショーバックと呼ばれる遺跡に立ち寄った。砂山の…

ジェラシュ2

劇場から遺跡を眺めて印象に残るのは卵形に配された列柱だろう。これはフォーラムと呼ばれる広場だが何処かで見た事がある様式だ。思い出してみるとそれはヴァチカンのサンピエトロ広場だ。この様式は古くはこの時代にもう生まれていたのかもしれない。 劇場…

ジェラシュ1

シリアへ一旦戻りそこから今度はヨルダンの国境を超えた。ヨルダンはシリアより物価が高いせいかレバノン国境より人は少なかったがセキュリティチェックが厳しくこの国境通過も時間がかかった。そこから車で1時間。この旅三つ目の遺跡となるジェラシュに到…

バールベック2

私はこの神殿の残骸を眺めながら一つの思い出を回想していた。それは三年前ドーハからカイロへ向かう機内での出来事だった。機内で私はパレスティナの女性と隣の席になった。彼女は外見も口調もチャーミングと言う言葉がぴったりの女性だった。モスリムの女…

バールベック1

翌日、国境を超えて日帰りでレバノンのバールベック神殿へ向かった。ダマスカスから小一時間西へ走ると国境に到着する。シリアよりレバノンの方が物価が安いのでシリア人はレバノンへ買い物に行き、レバノン人はシリアへ仕事に出掛ける。そんな訳で国境は大…

ダマスカス4

ダマスカスの一日も遂に陽が落ちてきた。くねる様に伸びる細いスークを辿りながらウマイヤ・モスク方面に戻る。途中シャワルマ(日本ではトルコなどでの名称ドナー・ケバブと呼ばれる事が一般的。ラム肉やチキンと野菜をナンで包んだアラブのファーストフー…

ダマスカス3

さてダマスカスには先述したスーク・ハミディーエの他にもう一つ重要な道がある。スーク・ミドハドパシャから続く真っ直ぐな道と呼ばれる道だ。この道は新約聖書に登場する舞台でもありキリスト教の巡礼者の集団がガイドの説明を受けていたりする。ウマイヤ…

ダマスカス2

ウマイヤドモスクに寄り添う様にエンジ色のドームを持った建物が建っている。アイユーブ朝の創始者であり、第3次十字軍を撃退しアラブを守った英雄サラーフ・アッディーン(サラディン)の霊廟だ。エルサレムを陥落し各地の領土を奪い返したアラブで大人気を…

ダマスカス1

ではダマスカスの街を歩いて見よう。勿論歩くのは旧市街だ。旧市街の入り口からはスーク・ハミディーエと呼ばれる目抜通りが奥へと続いている。スークとはアラビア語で商店街を指し、一般的には迷路状になっている事が多いが、此処はアーケードの付いたまっ…

パリュミラ遺跡3

砂山を降りて遺跡に戻る頃日暮れが迫った。遺跡が夕陽に照らされて真っ赤に染まる。列柱が四面門が真っ赤に燃える。やがて陽が落ち赤から青へ、そして漆黒が空を覆い始める。観光客は姿を消し遺跡は静寂を取り戻す。砂漠の遺跡は陽が沈むとグッと気温が下が…

パリュミラ遺跡2

遺跡のメインストリートを歩んでいくと、その両脇に当時の街の施設が残っている。先ず目に入ってくるのがローマ劇場。劇場と言えば現在コンサートやスポーツ競技場も基本的にはこの遺跡にあるものと変わらない。それだけにローマ劇場は完璧なスタイルだった…

パリュミラ遺跡1

ではパリュミラ遺跡の歴史を紹介しよう。この地方の歴史は古く旧石器時代に遡るが、やがてパリュミラは地中海とメソポタミアを結ぶ隊商(キャラバン)路の中継都市となった。交易は更にインド、ヨーロッパへと広がり、前64年ローマ軍が侵攻しパリュミラはロ…

バグダッド・カフェ

シリアへ行ってきました!とか書くと今では大騒ぎになってしまう事でしょう(笑)でもご安心を!09年に旅した記憶の中の話です。その時でさえ3年ほど待たされた。イスラエルのレバノン空爆があった事で・・・ ダマスカスに到着したその足でパリュミラ遺跡へと…

嗚呼シリアよ!記憶の中に!

昔々、ソ連と言う国があった時代。共産主義と民主主義が激しく争っていた時代。ソ連がアフガニスタンに攻め込んだ。アメリカはそれに対抗するべく現地の民兵を訓練し鍛え上げ、彼等にソ連と代理戦争をさせた。その彼等の中から頭角を現した人物がいる。ウサ…