幸せのアラビアを探して1

 イエメン、旅や歴史に興味が無く、報道だけから情報を得ている人々にとってそこは危ない国としか写らない国だろう。事実情勢は常に危うい国ではある。第二次大戦後は資本主義と共産主義の鍔迫り合いに巻き込まれ南北二つにイエメンは分離した。統合後も国力は低く部族間抗争にあけくれ安定せず、こうした状況が過激派の隠れ家として利用される要因を産み誘拐事件が頻発していた。そして現在、イスラーム国の台頭に影響され活発化した過激派の行動により、イエメンは宗派の争いとして再び分裂の危機に瀕している。

 しかしながら歴史を紐解いてみればイエメンの首都サナアは、古くはシバの女王が君臨した国があり首都サナアは現存する世界最古の街と言われる歴史の所縁の深い街でもある。また世界中で愛される珈琲の品種モカはイエメンの地名に因んでいる。歴史的には見逃せない場所でもある。

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wikiより)
 アラブには三つのアラブがあると言われる。一つが砂漠のアラビア。サウジアラビアを中心に広大に広がる砂漠地帯。普通アラビアと言えばこんな光景をイメージするだろう。もう一つが前回紹介したペトラを代表とする岩山を主体とした岩のアラビア。そして最後の一つが幸せのアラビアと呼ばれる地域。すなわち現在のイエメンがそれにあたる。

 何故イエメンが幸せのアラビアと言われるのか?それはアラビアにすれば緑が多い温暖な気候、そして古き良き時代のアラビアの世界観が現在まで息づいている地方だからと言われる。

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世界遺産カメラマン富井義夫氏の写真集より)
 私がイエメンに訪れた2007年は未だイスラームをテーマとする旅を始めたばかりで知識もまだまだ未熟だった。そんな折りふと見つけたイエメン、サナアの写真に目が釘付けとなった。こんな街が未だ残されているのか・・・思い立ったが吉日私は早速イエメンに飛んだ。残念ながら当時の仕事上の制約で短い日程になってしまったがそれでも重要な旅だった。それまでテーマを遺跡とイスラームの二本立てで考えていたが、この旅以降イスラームに重点を絞り旅をする事になる。私をイスラームの世界観に引き釣りこんだ国と言える。

幸せのアラビア(アラビアン・フェリックス)と呼ばれたイエメンの小さな旅を紹介しよう。