2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

いってきます!

こんばんは ただ今成田空港、既に出国を済ませ出発を待つのみです。出発まで随分時間があったにも関わらず、毎度の通り慌ただしい出発となりました。慌ただしく荷物を詰め込み、忘れたものは空港で買い足し…。これからも現地で色々足りないものが出てくる事…

シルクロードを西へ!イラン編最終回

私がイマーム広場最後に訪れた場所は西に建つシェイク・ロトフォラー・モスク。このモスクはイマーム・モスクに比べ一回り小さい。王室専用のモスクであるから礼拝の時を告げるミナレットも無ければ、多くの信徒が集団で礼拝する為の中庭も無い。だから一見…

シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン3

二つの宮殿を見終わった後、私は広場の北に位置するバザールの門を潜った。バザールは天葢に覆われ、明かり取りから仄かな日が差し独特の雰囲気を醸し出している。最初の内こそ土産屋が目立つが、次第に庶民の為の店が建ち並ぶ。 道は曲がりくねり幾重にも分…

シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン2

ヨーロッパから訪れた商人や外交使節に「此処を訪れた事は、世界の半分を訪れた事に値する」と称されたイマーム広場。縦510M横163Mに及ぶ広大な広場にはイスファハーンの全てが集約されている。 広場には芝生が敷き詰められ所々に涼しげな噴水が設けられてい…

シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン1

さて、私がイランで訪れたもう一つの古都、それはイスファハーン。古くはシルクロードの交易の街として栄え、1597年(日本で言えば徳川幕府が始まった頃)、サファビー朝全盛期のシャー(王)アッバース一世の時、サファビー朝の首都として新造された。 その…

シルクロードを西へ!イラン編シーラーズ2

シーラーズにはもう一つ、旅人を呼ぶ見所がある。シーラーズ郊外に残された遺跡ペルセポリスだ。中東の3Pと言う言葉が旅人の用語にある。ヨルダンのペトラ、シリアのパリュミラ、そして此処イランのペルセポリス。中東を代表する遺跡の共通の頭文字Pを取っ…

シルクロードを西へ!イラン編シーラーズ1

前回述べた通りシルクロードとは特定の国や企業が作ったものでは無く、自然発生的に出来上がった東西の交易路であるから、東西の起点となる街も、そのルートも決められたものでは無い。それ以上に自然発生的な交易路であるから、交易ルートは幾重にも分岐し…

シルクロードを西へ!次なる旅へ!

昨年、私はチベットの旅行記を書いた。それがチベット仏教を国教とする世界で唯一の国、ブータンへ旅するきっかけとなった。今年に入って私はシルクロードの旅行記を書き始めた。またムクムクとシルクロードへの旅の想いが募り始めた。 私は当初シルクロード…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編最終回

チョルスー・バザールで先ず始めに私が向かったのは食道街だ。その中でイスラーム帽を被ってモクモクと煙を上げながら、黙々とシャシリク(串焼き)を焼いているオジサンに惹かれて私はその店でシャシリクをご馳走になった。 腹を満たした後はいざバザールに…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編タシュケント1

往きは鉄道、そして車で砂漠を越えて時間をかけて移動した道程も、帰りはプロペラ機であっという間にタシュケントに戻った。旅を始める迄帰りの便のフライトスケジュールが未定だった為、空港からタシュケントの市街迄のアクセスは自力で向かう事を覚悟して…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ヒヴァ7

世界遺産で繰り広げられた小さな天使の撮影会も終わり、私は民族舞踏が行われるアラクリ・ハーン・マドラサに向かった。舞踏は先ずオジサン、オバサン、若者に子供と言う編成の舞踏から始まった。子供が道化役となって良い味を出している。しかしこれは前座…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ヒヴァ6

ヒヴァの内城イチャン・カラは世界遺産であると共に、其処に暮らす人々にとっては日常だ。 日中は観光客が大手を振って歩き回る其処も、学校が終われば子供達の遊び場だ。観光客は彼等にとって、学校で学んだばかりの英語を試す格好の遊び相手でもある。私に…