2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ボスニアヘルツェゴビナ編サラエボその2

サラエボ郊外にあるトンネル博物館を訪れた。このトンネルはセルビア軍に四方を包囲されたサラエボ市民の唯一の外界との接点となったトンネルだった。そう書かれた説明を鵜呑みにすれば、このトンネルはサラエボ市民の希望のトンネルでもあったと思える。勿…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ボスニアヘルツェゴビナ・サラエボ編その1

ヨーロッパの鉄道駅は大抵街の中心から離れているものだが、此処サラエボも例に漏れない。寂れた駅舎を抜け、うらぶれた通りを歩き、街の中心を目指した。途中だだっ広い大通りに出る。狙撃通りだ。ボスニア紛争時、セルビア軍はサラエボの周囲を囲む山々に…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+民族浄化とは

民族浄化…ユーゴスラビア紛争を語る上で避けては通れない言葉でもある。語源はユーゴスラビア紛争を終結させる為、セルビアを一方的に悪とし、セルビアを屈服させる為のメディア戦略の一貫として彼等が行った悪行を簡潔にアピールする為に作られた言葉だ。当…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ボスニアヘルツェゴビナ・モスタル編

ボスニアヘルツェゴビナに入国するとバスは海岸沿いを離れ内陸に分け行っていく。車窓からは長閑な風景が続くが、其処に不自然に廃墟と化した家屋が点在し内戦の傷跡を今に伝えている。モスタルに到着すると宿屋の呼び込みや自称ガイドがワラワラと集まって…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ボスニアヘルツェゴビナ序章

さて、旧ユーゴスラビア5か国目ボスニアヘルツェゴビナの紹介をしよう。ボスニアヘルツェゴビナは地図を見ると一目瞭然、バルカン半島としても旧ユーゴスラビアとしても中心となる位置にある。こうした事から古くから此処は文明の十字路として機能してきた…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+クロアチア・ドブロヴニク編

重たい話題が先行してしまったが、キッパリ切り替えて11年に旅したドブロブニクの旅を紹介しよう。この旅では私はクロアチアの首都ザグレブから空路でドブロブニクに訪れた。機内の車窓からは分厚い雲しか見る事が出来なかった。ドブロブニクは海沿いの美…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+クロアチア編序章

モンテネグロのコトルから車で約3時間、クロアチアの国境を越えた先にドブロブニクがある。それでは旧ユーゴスラビアの4か国目クロアチアの概要を説明しよう。 クロアチア人も南スラブ人である事は他のユーゴスラビア諸国と同様だが、立地的に北西に位置し…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+モンテネグロ・コトル編

ブドヴァからコトルに移動した。コトルは他のアドリア海沿いの街と違いアドリア海から深く切れ込んだ入り江の最深部に街がある。背後には急峻な山々がそそり立つ。山肌は岩の質のせいか、太陽光線の具合で黒々と見え、モンテネグロ(黒い山)と言うイメージも…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+モンテネグロ・プドヴァ編

さて、話を始める前にしつこい位にユーゴスラビアの歴史のおさらいを行おう。ユーゴスラビアとは南スラブ人の国と言う意味で、殆どが南スラブ人で構成された国だ。その南スラブ人はビザンティン帝国の影響で東方正教を信仰する事となり、それがユーゴスラビ…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+モンテネグロ編序章

コソボの首都プリシュティナを発った夜行バスは事もあろうにモンテネグロの首都ポゴドリツァに早朝2時半に到着してしまった。バスは此処が終着では無いので仕方ないのかもしれないが、国境通過で起こされ、2時半到着では全く眠れない。バスターミナルのベ…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+コソボ・ペーヤ編

本日はプリシュティナからペーヤと言う地方都市に移動する。ペーヤにはコソボに取り残され世界遺産となったセルビア正教の教会のうち二つが残る。ペーヤからバスを乗り継いで先ずデチャニ修道院を訪れた。 小さな村から長閑な道をテクテク歩けば、長閑な風景…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+コソボ・プリシュティナ

プリズレンからコソボの首都プリシュティナに移動した。プリシュティナは小さな首都だが、それでも地方都市のプリズレンより遥かに大きい。ちょっとソワソワする。昔は高層ビルが聳える大都市の光景も好きだっったが、最近は地方都市の方が心が和む。 バスタ…

旧ユーゴスラビアを旅する完全版+コソボ・プリズレン

アルバニアのティラナから山道を走り、途中湖畔の休憩所で一服を摂りコソボのプリズレンに到着した。バスターミナルから旧市街に向かう途中、初めて視界に入ってきた宗教施設は予想を反して教会だった。四方を鉄柵で囲まれているのは他の場所でも治安対策と…