2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

バールベック1

翌日、国境を超えて日帰りでレバノンのバールベック神殿へ向かった。ダマスカスから小一時間西へ走ると国境に到着する。シリアよりレバノンの方が物価が安いのでシリア人はレバノンへ買い物に行き、レバノン人はシリアへ仕事に出掛ける。そんな訳で国境は大…

ダマスカス4

ダマスカスの一日も遂に陽が落ちてきた。くねる様に伸びる細いスークを辿りながらウマイヤ・モスク方面に戻る。途中シャワルマ(日本ではトルコなどでの名称ドナー・ケバブと呼ばれる事が一般的。ラム肉やチキンと野菜をナンで包んだアラブのファーストフー…

ダマスカス3

さてダマスカスには先述したスーク・ハミディーエの他にもう一つ重要な道がある。スーク・ミドハドパシャから続く真っ直ぐな道と呼ばれる道だ。この道は新約聖書に登場する舞台でもありキリスト教の巡礼者の集団がガイドの説明を受けていたりする。ウマイヤ…

ダマスカス2

ウマイヤドモスクに寄り添う様にエンジ色のドームを持った建物が建っている。アイユーブ朝の創始者であり、第3次十字軍を撃退しアラブを守った英雄サラーフ・アッディーン(サラディン)の霊廟だ。エルサレムを陥落し各地の領土を奪い返したアラブで大人気を…

ダマスカス1

ではダマスカスの街を歩いて見よう。勿論歩くのは旧市街だ。旧市街の入り口からはスーク・ハミディーエと呼ばれる目抜通りが奥へと続いている。スークとはアラビア語で商店街を指し、一般的には迷路状になっている事が多いが、此処はアーケードの付いたまっ…

パリュミラ遺跡3

砂山を降りて遺跡に戻る頃日暮れが迫った。遺跡が夕陽に照らされて真っ赤に染まる。列柱が四面門が真っ赤に燃える。やがて陽が落ち赤から青へ、そして漆黒が空を覆い始める。観光客は姿を消し遺跡は静寂を取り戻す。砂漠の遺跡は陽が沈むとグッと気温が下が…

パリュミラ遺跡2

遺跡のメインストリートを歩んでいくと、その両脇に当時の街の施設が残っている。先ず目に入ってくるのがローマ劇場。劇場と言えば現在コンサートやスポーツ競技場も基本的にはこの遺跡にあるものと変わらない。それだけにローマ劇場は完璧なスタイルだった…

パリュミラ遺跡1

ではパリュミラ遺跡の歴史を紹介しよう。この地方の歴史は古く旧石器時代に遡るが、やがてパリュミラは地中海とメソポタミアを結ぶ隊商(キャラバン)路の中継都市となった。交易は更にインド、ヨーロッパへと広がり、前64年ローマ軍が侵攻しパリュミラはロ…

バグダッド・カフェ

シリアへ行ってきました!とか書くと今では大騒ぎになってしまう事でしょう(笑)でもご安心を!09年に旅した記憶の中の話です。その時でさえ3年ほど待たされた。イスラエルのレバノン空爆があった事で・・・ ダマスカスに到着したその足でパリュミラ遺跡へと…

嗚呼シリアよ!記憶の中に!

昔々、ソ連と言う国があった時代。共産主義と民主主義が激しく争っていた時代。ソ連がアフガニスタンに攻め込んだ。アメリカはそれに対抗するべく現地の民兵を訓練し鍛え上げ、彼等にソ連と代理戦争をさせた。その彼等の中から頭角を現した人物がいる。ウサ…

人生は不器用ながらも自信を持って!

私の人生は不器用そのものだ。いや不器用では無かったらこんな人生を送っている筈は無い。でもお金が貯まらないのはたまに傷だが、私はそれなりにこの人生を楽しんでいる。 私の旅もまた不器用そのものだ。同じ様な行程ならツアーの方が圧倒的に効率が良い。…

Decade of my life

ミャンマーの旅で私の旅の十年の一区切りが完了した事は前回記した。人生の内の10年間とは結構大きな配分でもあるが、あっという間の十年でもあった。37才に始まって46迄、人の人生の中で一番脂が乗っているだろうこの十年、普通の男なら働き盛りと言…

旅は感無量にて

最終日は半日猶予がある。しかし全くプランが浮かんで来ないのだ。遂に旅人として一番大切なものさえ出し尽くしたか・・・。有名所は昨日見てしまった。普通なら街歩きは楽しいものだが、最早東京とそれ程変わらない街を歩いて何になるのか・・・私は行き詰まって…

雨の台北

?ミャンマーに別れを告げ私を載せたチャイナエアラインは寄港地台北へと飛び立った。行きにも感じていたがこのエアラインは異常に機内を冷やす。それがサービスだと思っているのか?途中私は薄い毛布にくるまりガタガタと体を震わせていた。え?そんなの私だ…

ミャンマーに愛を込めて

シェーダゴン・パヤーを後にして、その両隣にある人民公園とカンドーヂ湖を散策した。二つとも軍治政権時代はひっそり閑古鳥が鳴いていたそうだが、クリスマスと言うこともありどちらも賑やかで暖かい雰囲気に包まれていた。庭園の綺麗さとか眺めより、私は…