遥かなるトンブクトゥ序3マラケシュ

 2010年5月、私はモロッコマラケシュのジャマエルフナ広場を見下ろせる喫茶店にてミントティーを傾けながら広場の眺めを楽しんでいた。一日中、一年中祭り騒ぎの様なこの広場が、夕刻になると更に忙しなくなる。

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 日中に技を競いあった蛇使い、火吹き男、様々な大道芸人達。彼等を取り巻く人混みを縫うように何処からともなく一瞬のうちに屋台が組み上がり、そして片言の世界各国語を操る客引き達がそれぞれの屋台へと客を引き込む。そんな喧騒の渦を目を細めて見下ろしていれば、毎度の如く私の意識は歴史の彼方へと引き込まれていく。

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 世界の中心がイスラームにあった頃、交易の民イスラームバグダッドを中心に世界中に交易の道を広げた。東はシルクロードに連結し中国西安へ。海路では東は東南アジアを経て中国広州へ、南に向かえばアフリカ東岸ザンジバルへ。陸路を南に目指せばダマスカスを経てエジプト、カイロへ。そこから道は北アフリカを地中海沿いに西へと続き、今のチュニジアを経て今いる西の果てマラケシュまで繋がっていた。

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 マラケシュはこうしたアラブの交易路と北には地中海を挟んでヨーロッパ、南はサハラ砂漠交易と連結し、交易の要の街として発展し、欲しいものを探して、此処で見つからないものは無いとまで称されるほど繁栄したと言われる。その当時の賑わいは、きっと今目の前で繰り広げられている光景と変わらない様な賑わいだったのではあるまいか?

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 シルクロードを西へ向かって中央アジアへ、中東を歩き、地中海を西に目指した・・・イスラームをテーマにした私の旅は、イスラームの交易の道を辿るかの様な旅だった。そして辿り着いた西の果てモロッコ。更に道はサハラ砂漠へと続いていた。そして私の旅もこれよりサハラを目指す。

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 翌朝期待に胸を膨らませマラケシュの街を立った。当時サハラ砂漠を目指した旅の商人達の前に立ちはだかっただろうアトラス山脈越えも、今では車があるから楽なものだ。しかし楽になったとは言え4千メートル級の山が連なる立派な山脈。もう6月が近いと言うのに車窓から見る山脈の頂上にはちらほら残雪も残っていた。そして山脈の峠を越えると劇的に景色が変わる。