遥かなるトンブクトゥ6モプティ港

 バマコを発って500キロ。バマコからトンブクトゥへちょうど中間地点に位置するモプティは、マリの中央部に位置し現地の人にとっても旅人にとっても重要な交通の要衝の街だ。北へ向かえばトンブクトゥ、東に向かえばドゴン族が暮らすバンディアガラへ、そして 近郊には泥のモスクで有名なジェンネ、それぞれに向かう旅人の起点となる街がモプティだ。更に陸路だけでは無く空港も、そしてニジェール川を利用した船便の港町としても機能している。

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 そんな訳で穏やかなセグーとは打って変わってモプティはてんやわんやの賑わい様だ。特にニジェール川岸の船着き場一帯は此処から上流のバマコへ、下流トンブクトゥへと旅立つ地元の人達で足の踏み場も無い程だ。人の多く集まるこの川岸にはいつでも市場が立ち買い物客でごった返す。

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 そんなニジェール川岸の賑わいを楽しむ。ドッグの脇には船の修理工場があった。中では壊れた自転車やら、得体の知れないスクラップが積み込まれている。それらの鉄屑を利用して船の修理に使うのだろう。先進国がエコだの再利用だの声高に叫び出す遥か以前から、貧しいこの国では再利用なんて当たり前過ぎて政治家が偉そうに喋る事では無い事なのだ。

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 再び喧騒の港を歩いていて私の目を釘付けにしたものがあった。白い板の様なものが綺麗に並べられている。売っているのは明らかにネイティブアフリカンでは無い藍色の民族衣装を纏った男性、トワレグ族だ。そしてその白い板の正体は岩塩だ。そしてその岩塩こそが、私をこの旅に導き寄せたサハラ交易の重要なキーワードとなるものなのである。

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 嘗てアラビアの旅の商人達はモロッコを出てトンブクトゥへ至る直線の途中に塩田を発見しそれを手中にした。塩は内陸国であるマリ帝国にとっては喉から手が出る必需品。一方マリには豊富に採れる金があった。アラブの商人達はそこに目をつけたのだ。サハラ砂漠で手に入れた塩を駱駝を使って命懸けで砂漠を越えてトンブクトゥを訪れ、塩と金を等価交換したのだ。これをサハラ交易の塩金貿易と呼ぶ。

 トンブクトゥに送られた塩はニジェール川を船によって昔はジェンネに運ばれた。その後サハラ交易は大航海時代の訪れと共に廃れていったが、塩のキャラバンはその後も永遠と存続し、今日も駱駝が塩を背にのせサハラを渡る。そしてトンブクトゥで船に乗せ換えられ、現在の中心地モプティに運ばれてきたのだ。

 岩塩の商いを眺めながら私の意識は悠久の歴史を彷徨った。在りし日の金は既に無くなったが、此処に王国があった頃から途切れる事無く続く塩のキャラバン。岩塩とそれを運ぶ旅の商人、彼等は歴史の生き証人の様な気がした。そしてこの塩の板は私が目指すトンブクトゥを経由して運ばれてきたもの。事件により私の袂から大きく離れていった気がしたトンブクトゥ。今その残り香を残す様な岩塩を目の前にしてトンブクトゥへの距離を少しだけ近づけた気持ちになった。