マリ旅行記
アフリカ大陸から漸くアジアへと戻ってきた。バンコク、私がトランジットとして何度も訪れた街、もう地図が無くとも街歩きには不安が無い。空港から街へと直結している鉄道の駅からブラブラと散策を続けながらチャオプラヤ川まで辿り着いた。最早王宮は見学…
旅をしている人とそうでない人には大きなギャップを感じる事がある。危険だと感じる街についてもそれが当てはまると思う。紛争とかテロとあ報道されると、人々は一気にその街を危険だと感じてしまうが、マリのいずれの街にも私は危険を感じなかったし、事実…
連れられて向かったその家でアマドゥがにこやかに私を迎えてくれた。 「ようこそさっくんさん、ご無事で何よりです!」 アフリカらしい大家族、子供がはしゃぎ回る中、つもる話を咲かせながらアマドゥにご馳走になった食事に思わず興奮してしまう。 「アマド…
バマコではトンブクトゥで別れたティメに変わってムハンマドと言う青年がガイドを勤めた。彼もまた優しそうな好青年だった。彼は私がトンブクトゥ行きを強行した事を驚いている様だった。彼がちょっと前に引率した団体はトンブクトゥ目前で断念して引き上げ…
空港に着くと今度こそ空港は人で賑わっていた。これなら無事に飛行機は出発しそうだ。とは言っても事件のせいで観光客は一人もいないので土産屋は閑古鳥が鳴いている。そんな土産屋で私はTシャツを購入した。背中に I have been to Tombouctou and Back と書…
最後に民家の屋上に登らせて貰ってジンガリベリモスク越しにトンブクトゥの街並みを眺めた。その遥か北方にサハラ砂漠が広がっている。その光景を前に熱い想いが胸を過った。一年半前モロッコ.メルズーカのサハラ砂漠の砂丘の上から遥か南を熱い想いで眺め続…
ニジェール川を渡り終えると我々はホテルに向かう事も無く真っ先に街歩きを開始した。いついかなる時も二人の軍人が私を警護してくれている。時間が無いので説明は後回しにしてトンブクトゥに残された三つの歴史あるモスクや過去に此処を訪れた探検家達の家…
車は乗れなかった事を悔しがるかの様に満車のフェリーに積まれた車スレスレに止まった。直後ガクンと音がしてフェリーが出港する。あれ?なんか変だ?大地が動いている。え?なんと我々もフェリーに乗っている!なんと軍人はフェリーの昇降ラダーに車を乗っ…
ダートの道を約百キロ、途中にある唯一の村で我々は昼食を摂った。昼食と言ってもそこにはレストランも無いから雑貨屋の軒先でドゥエンザで買い置きした食料を食べる。驚いた事に中国製だろうか?鯖缶みたいなものとご飯を食べる。なんか日本の私の夜食みた…
眠れない夜が開けようとしていた。未だ暗い内にベッドから出た。一番乗りかと思っていたらアリが決意の朝の礼拝をメッカに向かい捧げている。ティメも眠い目をこすりながら出てきた。出発だ。と言うより出陣と言う気持ちが強い。しかしこんなに朝早く出発し…
途中で4WDなのにスタックしてしまうと言うハプニングはあったものの、再びバンディアガラの断崖の天辺で壮大に広がるアフリカの大地を堪能しドゴンの里を後にした。そして麓の村バンディアガラでアマドゥからの最後のメッセージを受けとる事になる。私がマ…
崖を降り平地に出た所に井戸があり、子供達が大騒ぎしていた。近づけばどうやら水を汲んでいたバケツを繋いでいた紐の取っ手がバケツから外れてしまった様だ。昔ニジェール川から遠く離れたこの地に移り住んだ彼等にとって井戸は貴重な生命線だ。これは一大…
ガイドのティメと共にバンディアガラの急な断崖をドゴンの村落を目指し下っていく。ガイドのティメはドゴン出身だ。先ずは自分、そして家族全員の分の「元気ですか?」を尋ねるドゴン独特の長い挨拶を交わしながら崖を下る。 下って行けば先に白人の老人の団…
モプティからドゴン族の暮らすバンディアガラの断崖を目指し遥か東に向かう。マリの旅の中で此処だけがニジェール川からかけ離れた立地となる。マリは乾燥帯に属しニジェール川に近くなければ人の暮らしは営み辛い。では何故ドゴン族はこんな過酷な大地で営…
翌朝早めに起きて朝のモスクを見学した。曜日市が無ければ今ではジェンネは嘗ての栄光が信じられない程静かな村だ。裳抜けの空となった曜日市の広場に残された塵を山羊が啄んでいる。賑やかな市が無くなった広場に立つとモスクの巨大さが一際際立つ。 以前は…
祭り騒ぎのモスク前を抜けて泥の迷宮に足を踏み入れる。泥一色の街並みを原色を纏った女性が頭上に大きな皿を乗せて歩いていく。その脇を子供達がはしゃぎながらすり抜けていく。 道端では子供達が木の板を使ってコーランを習う青空教室が開かれていた。此処…
そしてその盛大な月曜市の向こうに聳えている巨大な泥の建築こそ世界に名高いジェンネの泥のモスクだ。手で泥を塗り左官するので独特の柔らかいフォルムを持つ。それ故に原始的だが前衛的でもあり、ガウディのサグラダ・ファミリアのモチーフになったとも言…
本来、本日トンブクトゥへ向けて出発するはずだったのだが、飛行機のスケジュールに合わせる為急遽ジェンネとドゴンの集落を先に観光する事になった。そんな不運が当初はトンブクトゥを優先する為諦めていたジェンネの月曜市と訪問が重なると言うラッキーを…
モプティもフランスが統治時代に整備され大きな街となったが、以前からあった村が旧市街として今も残っている。港を見学した後私は勿論そこへ向かった。新市街にはコンクリート造りの家が殆どだが旧市街は泥で出来ている。中央に世界的に有名なジェンネには…
バマコを発って500キロ。バマコからトンブクトゥへちょうど中間地点に位置するモプティは、マリの中央部に位置し現地の人にとっても旅人にとっても重要な交通の要衝の街だ。北へ向かえばトンブクトゥ、東に向かえばドゴン族が暮らすバンディアガラへ、そ…
セグーを発って今日はトンブクトゥと中間の位置にあるモプティを目指す、そこでアマドゥからその後の旅程の返答を待つ事になる。今日も途中の小さな村に休憩がてらに立ち寄りながらの旅となった。その小さな村で不思議な事が起こった。通常私達に群がるのは…
再び北上を続け、バマコより北に約250キロ、最初の目的地セグーに到着した。バマコを発って初めての街らしい街だ。セグーはフランス統治時代に総督府が置かれた事で整備され発展した。そんな経緯からこの街には特段見所は無い。そんな訳もあって旅人には…
? ガイドを努めてくれるティメとドライバーのアリと合流し、大きな不安を詰めたままトンブクトゥを目指す私の旅は始まった。街を出ると路肩もあやふやなアスファルトの道をランドクルーザーは疾走する。あやふやな路肩の両側にはアフリカ独特の赤い土が覆っ…
アマドゥと一緒にホテルのレストランに入った。アフリカの電気事情は悪い。レストラン内部もバーの店内より薄暗い。席に着こうとすると蚊が数匹飛んでいるのが確認できた。此処では蚊はマラリアを持っている可能性が高いので大問題なのだ。 アマドゥに促され…
バンコク、ナイロビで二度乗り継ぎをする長い飛行機の旅も、それまでに起こった旅のゴタゴタから比べれば信じられない程何事も無く、旅の期待もあって全然長いと感じる事無くあっけない程に私はマリの首都バマコに到着した。空港には民族衣装を纏った現地旅…
航空会社の立て続けのフライトキャンセルの次に私の旅に立ち塞がった驚異は乗り継ぎ先のバンコクを襲った洪水だった。日に日に水嵩は増し洪水はバンコクへと迫っていった。仕事の合間私は携帯を握りしめて顛末を祈る様な気持ちで情報を収集した。出発約二週…
トンブクトゥへ行きたい!そう決意したとは言え、当初は計画を暖めゆっくりと計画を練ってから赴こうと考えていた。しかしそんな悠長な事を言っていられない状況が起こった。10年暮れに起こった中東の春だ。それがリビアへ波及しカダフィが倒れた時、私は…
アトラス山脈を越えると、それまで緑多かった大地は草木も疎らな荒野へと姿を一変する。ドライヤーの様な熱風が吹く大地を振り替えればアトラス山脈の頂上には残雪が残る。 そこから先は人は疎らに点在するオアシスのみに暮らす事が許される。そこには嘗てイ…
2010年5月、私はモロッコ、マラケシュのジャマエルフナ広場を見下ろせる喫茶店にてミントティーを傾けながら広場の眺めを楽しんでいた。一日中、一年中祭り騒ぎの様なこの広場が、夕刻になると更に忙しなくなる。 日中に技を競いあった蛇使い、火吹き男…
2010年暮れ突如巻き起こったジャスミン革命、それは瞬く間に隣国リビアに飛び火した。以前から欧米に敵対していたカダフィは欧米によって殺害され、トップを失ったリビアは国の体を為さない無法地帯と化した。リビアには貧しいマリのトワレグ族系出稼ぎ…