幸せのアラビアを探して14

 イエメンから帰国の為、アラブ首長国連邦のドバイに降り立った。ドバイ、石油で潤った資金を元に、石油枯渇後の未来を見据え貿易と観光に惜しみ無く注ぎ、瞬く間に世界有数の近代都市へと変貌を遂げたシティリゾート。砂漠の中に忽然と現れた摩天楼。嘗て高層建築を築き幸せのアラビアと呼ばれたのがイエメンなら、ドバイはさながら現代版の幸せのアラビアと言えよう。

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 数百年を一気に遡ったかの様なイエメンの街並みを堪能したばかりの私にとってはドバイの街の時の流れは慌ただし過ぎる。ごった返すドバイ国際空港をやっと離脱すれば今度は街に向かうバスで渋滞に捕まった。ドバイと言えばジュメイラビーチに立ち並ぶ超豪華リゾートが有名だが、貧相な旅人は門前払いだろうし私もそんな場所は望んでいない。物や金に依存した幸せは人さえ選ぶのだ。

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 そんな私が向かったのはやはり下町だった。しかしドバイには出稼ぎのパキスタン系の人が殆どで地元のアラブ人は滅多に出歩いてはいない。まるで無国籍な風景がそこに広がっている。今や世界中の大都市は殆どコンクリート製の摩天楼に埋め尽くされ、人々も無国籍化し、その街のランドマークでも見ない限りそこが何処だか見当がつかなくなりつつある。

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 ドバイのスークに立ち寄った。きらびやかな黄金が輝くゴールドスーク。スークとは言え此処はドバイ。整然と店が立ち並ぶその光景は欧米の商店街と変わらない。各店に設けられたショーウインドーは人々の活気さえそれに遮られて味気ない。嘗て海のシルクロード交易で栄えただろうダウ船が行き来しただろうクリークには石油を満載したタンカーが往来している。そんなクリークの両岸を結ぶ渡し船に昔ながらのドバイをやっと見つける。

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 対岸に渡ると昔ながらの伝統家屋を再現した一角があり、伝統家屋がレストランや土産物屋として利用されている。勿論それらは快適に安全にドバイの伝統を学ぶ事が出来るが、博物館的趣旨のそこからは、生々しい人々の息吹までは感じとる事は不可能だ。

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 最早近代都市のドバイでは人々は世話しなく動き回り、旅人なんて構ってくれない。そんな事で私のテンションは下がり気味だった。でも折角此処まで来たのだからちょっと奮発してクリークをクルーズする船で夜景を楽しんで帰国しようか・・・そんな事を考えていると一人の民族衣装を着たアラブ人に声をかけられた。

「お茶でも飲まないか?」

 怪しそうな人物では無い、断る理由は無い。最早クルーズの事はどっかに忘れ私は男について行った。