幸せのアラビアを探して13

 イエメンを去る朝も大音量のアッザーンにたたき起こされた。早起きは三文の得、空港までの送迎が迎えに来る迄もう一度サナアの街を歩くことにした。

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 昼は人でごった返す旧市街も朝は人影疎らである。狭い石畳の旧市街をイエメン門を目指し歩いていると何故だか目頭が熱くなってくる。ほんの数日しか滞在してないのに無性にこの街を去るのが寂しくなってくる。

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 イエメンに限らずイスラーム圏の特色でもあるが、彼等は非常に自治意識が高い。街の重要な部分を為すスークやモスクも全部彼等の寄付で成り立っている。そしてイスラームの教えである喜捨の精神から貧しい国でありながら、物乞いが少ない。いたとしても私をイエメン門を見渡せるビルに連れていってくれた男同様にせっぱつまった様な人は少ない。

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 一方資本主義に暮らす我々は物や金を持つ事こそ幸せだと社会から洗脳され育つ。それは資本主義がそうでないと成り立たない仕組みだから。我々は否応なしに消費の歯車に組み込まれていく。そして物欲と言う餌を追い必死に歯車を駆け巡る。まるで篭の中のハムスターの様に。そしてその歯車から振り落とされた人々の末路は悲しい。

 資本主義=拝金主義であるアメリカのセレブが集うロックフェラービル。その真下では、ボロを纏ったホームレスが虚ろで悲しさと怒りに満ちた目線を私に投げ掛けた。それは余りにも悲しい目線だった。そんな社会に幸せはあるのか?

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 日々満員電車に押し込められしかめ面して働く男達を横目で眺めながらふと思う。確かにイエメンには日本に溢れている様なものは何もない。だと言って彼等はそれを不満に感じていないし、いや我々以上に満たされた表情で生きている。だとしたら幸せとはいったい何だろう?

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 イエメン、嘗て幸せのアラビアと呼ばれた国は最早此処には存在しない。今やアラブの最貧国、テロ組織の温床と成りつつあり、現在では国を二分して紛争が続く。しかし私は確実に彼等の中に幸せを見つけ出した。旅人をウエルカムと歓待し、アッサローム・アレイコム=貴方が幸せでありますように!と挨拶を交わすイエメンの人々。国は貧しく生活水準は低くても、お互いの繋がりを大切にし支え合い、古くからの伝統を頑なに守って暮らしている人々がそこにいた。そこには幸せに満ちた微笑があった。幸せとは場所やモノ、金、そして境遇に依存するものでは無い、幸せのアラビアは彼等の心の中にあった。