無題

 人は知らない人、国、事には酷な事を言う。否、知らないからこそ酷な事を言えるとも言える。イスラームを怖い、悪いと言っている人の殆どは行った事さえなければ、酷い人は悪いと言った国の正確な位置すら知らない人さえいる。

 勿論これは日本に限った事では無い。原発の事故で急激に世界に名前が広まってしまった福島。日本の知名度は昨今世界中に知れ渡っているが福島と言う地名を知っている人は未だ少ない。状況で彼等の国で毎度テレビをつければ福島の原発事故のニュースが流れる。彼等は福島=原発放射能ってイメージしか残らない。すなわち福島=危険な場所と言う図式ができてしまう。

 しかし日本に住んでいれば、いや住んでいなくても一度でも福島を訪れた外国人なら、福島はそれだけではなく、歴史ある遺産も多いし、美味しい食べ物もいっぱいあるし、何よりそこで出会っただろう人々との交流の中から、危ないと言う感情より福島の人々の事を思いやる気持ちが生まれるのではないだろうか?

 人は知らない事には無関心になれるが、少しでも接点があればそこに心が芽生える。逆に知らない事には人は恐怖心が先立つ。それは人の防衛本能を刺激し、それは時に暴言や暴力となって現れる。

 幼い頃、まだ下町に長屋なんてものが残っていた時代、つまり私の幼少時代。友達に長屋に住んでいる子供がいた。私達は仲良く遊んでいた。ミニカーで遊ぶのが大好きだった。ある日彼が帰った後、私のミニカーが数台無くなっているのを発見した。彼が盗んだとしか原因が見つからなかった。

 次に遊んだ時、思いきって私は彼に問い詰めた。彼は正直に告白してくれて、仲直りの証拠に彼が持っていったミニカーの半分を彼に渡した。しかし彼は他の友達の家でも同じ様な事をしていたらしく、暫くして学校で大問題になってしまった。それは飛び火して全く彼と接点が無い子供達まで彼を罵りだし、仲直りしていた私と私の友人で必死に彼を庇ったが、結局彼は学校に来れなくなってしまった。恐ろしいなと思った。虚しいなと思った。全く事情を知らない奴まで調子に乗りやがってよってたかって・・・此のときの悔しい感情は今でも心に残っている。

 結局彼はそれから引っ越しをしていった。最後の日彼から遊ぼうと連絡があったが、どうしても用事があって彼と会えなかったのが心残りだった。あれからずっと時が経ち同窓会で、風の噂で彼のその後を知った。一時期はもの凄く荒れたらしい。でも今では車屋をやっているとの事だ。ミニカーの思い出が甦った。車大好きだったものな!夢叶えたな!胸がいっぱいになった。

 それから更に時が経ち私は旅にあけくれた。そして起きた9・11事件、以来世間はイスラームのバッシングに躍起になった。本当は過激派がいけない事なのに・・・

 私はミニカーの事件以来心に刻んだ事がある。知りもしない癖に、人の尻馬に乗って人を傷つける様な卑怯者には絶対ならない! って事。旅人なら自分の目で確かめて自分の足で歩き倒して答えを出す。そして10年間イスラーム圏の旅を続けて今の自分がいる。

 この10年で私が訪れた三つもの国が行けない国になってしまった。シリア、イエメン、マリ。その国々は紛争さえなければ、訪れるに値する素晴らしい国々だ。そしてそこには文化は違えど我々と全く変わらない平和を愛する人々が住んでいる。

 無知と言う事が人に冷たさを与えるのだとしたら、私は私の経験から出来るだけ伝えたいけたら、少しでも興味を抱いて貰えれば、もっと暖かい感情を人々は持ってくれるだろうか?今回に続き、次回も今は退避勧告が出ている国、イエメンの旅を紹介したいと思う。