遥かなるトンブクトゥ22バマコ

 バマコではトンブクトゥで別れたティメに変わってムハンマドと言う青年がガイドを勤めた。彼もまた優しそうな好青年だった。彼は私がトンブクトゥ行きを強行した事を驚いている様だった。彼がちょっと前に引率した団体はトンブクトゥ目前で断念して引き上げたそうだ。

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 彼に導かれバマコ市内を一望できる丘や博物館、モスク等の見所を回った。そして私は到着した日に訪れた民芸品の市場アルチザンマーケットへ連れていって貰った。途端往きに立ち寄った時と同じ様に売り子達に手荒な歓迎を受ける。

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 驚いた事に彼等はちゃんと私を覚えていた。

「往きに帰りは買ってくれるって言ったよね?あ!そのTシャツ!お前本当にトンブクトゥへ行ったのか?どうだった?大丈夫か?」

 揉みくちゃにされながら私は探しているものがあった。バンバラ族が彫ったと言う仮面だ。やっとの事で見つけ買おうとすると店主同士で「これは私のお客さんだ!」と私の取り合いをしている。そんな彼等を慰めながら、私は購入した仮面をマジマジと眺めた。

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 その仮面の頭に飾られている彫り物はなんと三猿なのだ。そう日光の東照宮にあるあれだ。私は以前も海外で三猿に出逢った事がある。シリア、ダマスカスのスーク(商店街)の骨董店でだ。私はそれまで三猿は日本のオリジナルだと思っていた。しかし実は三猿は世界的に広まっているものらしいのだ。そして一説にエジプト起源説がある。

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東照宮の三猿)
 これが本当ならイスラームの交易ルートにそって東はシリアからシルクロードに沿って伝わった三猿が中国経由で日本まで長い旅を続けたのだろう。そして西は北アフリカを経由しモロッコから塩金貿易と共にサハラ砂漠を越えた三猿がバンバラ族の元まで伝わったに違いない。

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(ダマスカスの三猿)
 それは中国シルクロードから西のマリまでイスラームの交易路に沿って旅を続けた私の行程と完璧に被さる、なんか私の旅の象徴の様な気がしたのだ。如何せん文化も言葉も大きく違う、東の果ての日本と西の果てのマリが、三猿と言う一つの想いで繋がっているのだ。凄い事だと思わないか?

 旅は初めは文化の違いに刺激を感じその魅力に惹き込まれていく。しかしそんな中、同じ、違わぬ想いに巡り会えた時、旅の魅力は一層深みを増す。それはまるで料理が最初はスパイスの刺激が食欲をそそる一方、後からジワリと旨味を感じてこそ、その料理の真髄が味わえる様に。

 私はこの仮面を見返す度に、今回の旅を思い出すだろう、日本とマリは繋がっているのだ!世界は繋がっているのだ!と。

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 さて買い物を済ませ、買ってあげられなかった店主の叫びを聞きながらアルチザンマーケットを後にして、未だ飛行機の出発まで十分過ぎる程時間を余らせバマコの観光を終えてしまった。

「さて、これからどうするのだろう?」

と思っていると、ムハンマドからまたとない言葉が返ってきた。

さっくんさん!貴方に逢いたがっている人がいます。是非逢ってあげていただけませんか?」