遥かなるトンブクトゥ17サヘルを越えて2

 ダートの道を約百キロ、途中にある唯一の村で我々は昼食を摂った。昼食と言ってもそこにはレストランも無いから雑貨屋の軒先でドゥエンザで買い置きした食料を食べる。驚いた事に中国製だろうか?鯖缶みたいなものとご飯を食べる。なんか日本の私の夜食みたいで、まさかこんなところでこんな献立で腹を満たすとは思ってもいなかった。米食ニジェール川で獲れる魚も良く食べるマリの人と日本人の味覚は結構近いものなのかもしれない。

 村は砂漠に近いせいかポツポツとしか家もなく南部の村と比べて遥かに貧しい。なにかあったとしても近くの街は北にも南にも100キロも離れている。サハラ近郊の過酷な環境。こうした格差もトワレグ族の独立を巡る紛争の引き金の一つだった。

 さてそんなこんな事をしている内に日も頂点を過ぎ傾き出した。そんな私の焦りを感じてか?そして此処まで長旅をドライブしてくれたアリに休息を与える為にも軍人が運転を名乗り出た。ドライバーのアリは客をもてなす為非常にジェントルな運転をする。しかし軍人はそうはいかない。私の焦りを感じているから尚更だ。

 マリのサハラ砂漠は嘗てパリ=ダカールラリーの開催地だったが、まるでそれを彷彿させるドライビングで軍人はランドクルーザーを操る。ランドクルーザーは砂漠を走る為に生まれてきた様な車だ。砂漠では絶対の信頼を得ていてこれを指定すると値段も倍増する。車は待ってました!とばかりに本領を発揮し出す。飛ぶ!跳ねる!滑る!後ろで私達の荷物が毬の様に跳ねている。

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 軍人二人は涼しい顔だが我々は取っ手にしがみつき青ざめた顔。早く!早く!トンブクトゥへ着きたいと思う気持ちは、いつしか早くこの恐ろしい運転から開放されたいと言う気持ちに重なっていく。窓の外を見れば車が巻き上げるアフリカ独特の赤い土煙が、やがて色を失い白い砂埃に変わっていく。緑も徐々に瑞々しさが失われていき数も疎らになっていく。サハラ砂漠が近づいている。トンブクトゥに迫っている。

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 そして遂にニジェール川が遠方に見えてきた。我々はニジェール川を渡る。そしてその先にトンブクトゥが待っている。遂に!遂に!やって来たのだ!しかしそのニジェール川の渡河こそ一番の難関だと言うことを我々は知っていた。何故ならニジェール河はジェンネの時の支流のバニ川と違い大河なので渡河に約1時間もかかる。そしてそれを結ぶフェリーは一隻。つまりそのフェリーのタイミング次第で我々は大きく時間をロスしてしまう心配があるのだ。勿論それに時刻表なんてものは存在しない。こればっかりは神頼みだ。そして我々は神に祈った。
 
道はやがて河に沿って下り始める。そして我々は皆口を揃えて絶叫した。

あったー!

 車はグングンフェリーに近寄っていく。しかし歓喜するメンバーと裏腹に私の顔からは急激に血の気が引いていった。体の力が抜け揺れる車内でガクガクと私の体が人形の様に揺れた。

 私の見たフェリーは満車なのだった。このフェリーが行ってしまったら、戻ってくるのに約2時間。そこからトンブクトゥを目指せば日没は確定。

 良く頑張ったよ。俺達。自分を慰める様な言葉を自分で自分に 言い聞かせた。車は尚も下っていく。呆然自失した私を乗せたまま。