遥かなるトンブクトゥ11ジェンネのモスク2

 翌朝早めに起きて朝のモスクを見学した。曜日市が無ければ今ではジェンネは嘗ての栄光が信じられない程静かな村だ。裳抜けの空となった曜日市の広場に残された塵を山羊が啄んでいる。賑やかな市が無くなった広場に立つとモスクの巨大さが一際際立つ。

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 以前はモスクは観光客に開かれていた。しかし心無い欧州の旅人がそこでファッションショーを開こうとした。それが現地の人々の心を踏みにじった為観光客はお断りとなってしまったのだ。イスラームのモスクは異教徒を受け入れない事を排他的と言う人がいるが、旅人も自分達の行いを省みる必要がある。良く欧米人の旅人がモスクに半袖半パンで入ろうとして、上着を羽織る様に注意されているのを見る事がある。中にはそれにさえ反発する輩もいる。私はそんな彼等に尋ねてみた。

「貴方達はその姿で日曜のミサに出席するのですか?」

彼等は何も言い返せなかった。

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  さて、そんな訳で異教徒お断りになってしまった泥のモスクだが、安くは無い裏金で中を見る事が出来る。私は勿論見学させて頂いた。

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 外から見ると巨大なモスクだが中に入ると驚く程窮屈だ。これはこの巨大なモスクの天井を多くの柱で支えなければならないからだ。建材が日干し煉瓦と泥なので柱も太さが必要となってしまうのだ。

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 イスラーム建築は宗教の性格から一度に多くの信者を収容する巨大なスペースを必要とした。その為建築技術が進む前はこうした多くの柱で広大な天井を支える多柱式モスクが作られた。代表的なものにウズベキスタン・ヒバの金曜モスク(木製)スペイン・コルドバのメスキータ(石製)がある。どちらも柱と言う邪魔な存在を、デザインでカバーして独特の空間美を作り上げている。ジェンネのモスクは泥と言う性格上、そうした意匠は施せなかったが、独特の空間と言う事ではひけを取らない。

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ウズベキスタンの金曜モスク

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コルドバのメスキータ
 こうした空間への渇望がやがてドームと言う建築技術に結集していく。ドームはイスラーム独自の建築技術では無いが、広大な祈りの空間が必要なイスラームのモスク建築には欠かせない技術となり独自の進化を遂げていった。特にアジアに於いて著しい進化があり、ドームは只の半円状のものから装飾性を高め、インドの芸術を結実して、タージ・マハールで有名な玉葱状のドームに至る。これはアラビアに逆輸入され、現在ではモスクのシンボルともなっている。

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ブルーモスク イスタンブール

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タージ・マハール インド
 おっと話は大きくずれてしまったが、私にとってモスク建築の原初的スタイルの多柱式モスク、しかも泥製は初めての体験だったのでとても興奮した見学となった。さて旅はジェンネを後にして再び川を渡りモプティを交差し、ニジェール川から遥か東、ドゴン族が暮らすバンディアガラの断崖へと足を進める。