遥かなるトンブクトゥ19トンブクトゥ1

ニジェール川を渡り終えると我々はホテルに向かう事も無く真っ先に街歩きを開始した。いついかなる時も二人の軍人が私を警護してくれている。時間が無いので説明は後回しにしてトンブクトゥに残された三つの歴史あるモスクや過去に此処を訪れた探検家達の家等を見て回った。

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ジンガリベリ モスク
 夢の様な時間はあっという間に過ぎ去り、トンブクトゥの地名の由来となった井戸を訪れる頃には日は暮れていった。ホテルに戻り夕食となった。ガイドにドライバーそして警護の軍人。更にトンブクトゥでトワレグ族のガイドも加わり思わぬ大所帯となった今回の旅。時間との戦いを共に戦い抜きいつしかまるで友人同士の様な一体感で今日一日を過ごしてきたので、とても和やかで賑やかな晩餐となった。軍人の一人は弟が此処で暮らしていたので、その弟も晩餐に参加し兄弟久しぶりの再開に会話が弾んでいた。マリが南北に分断され彼等はどうしているのだろう?弟は南へ逃げ延びる事が出来ただろうか?それとも生き別れとなった弟を憂いながら彼は国を守る為戦い続けているのだろうか?今でもマリの旅を思い返す時、彼等の笑顔が胸を過る。

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シディ ヒサヤ モスク
 しかしそんな彼等との旅も今夜が最期。明日私は飛行機でバマコに戻るが彼等は危険な陸路で再びバマコまで帰る事になる。楽しかっただけになんか切ない夜でもあった。皆和気藹々ではあるが軍人は私がトイレに立てばさりげなく私の後を追いピッタリと警護してくれる。私はその後疲れからグッスリ爆睡してしまったが、彼等は二人で交替しながら私の安全を監視し続けてくれたに違いない。

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サンコーレ モスク
 翌朝夜明けと共に空港へ向かった。しかし何故か空港は藻抜けの空。人っ子一人いない。まさか再びフライトキャンセルか?騙されたか?どちらにせよ大事なのだが、これまで色々有りすぎて振り回され過ぎて、最早動じる事も無い。取り敢えず様子を見る為もう一度街へ戻り街歩きを続行する事にした。

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 ひょんな事から時間が増えたので昨日ゆっくり見れなかった分のんびり街を散策する。双子の姉妹都市と呼ばれたジェンネに比べるとトンブクトゥは似ている様で大きく様相が異なる。川の中洲に位置したジェンネは建物が密集し迷宮の様だったが、此処トンブクトゥは砂漠に位置する為街の作りにゆとりを感じる。家の造りも土の成分の違いか赤っぽいジェンネに比べ此方は白っぽい造りで壁には泥による漆喰が塗られず、日干し煉瓦がそのまま積み上げられている。住民もネイティブアフリカンが殆どだったジェンネに比べ、此方は明らかに彼等とは異なる人種、トワレグ族が主流だ。モスクの造りもアフリカ様式よりアラブに近い様式が見られる。

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 そんな街角で懐かしい風景に私は出会った。ナンを焼く釜だ。マリは米食だけどフランス統治の時代があったからフランスパンも美味しい。しかしナンは殆ど見る事が無かった。しかし此処ではナンが主食となっている様だ。ナンと言えばアラブの主食。そんな食べ物を見ても明らかに南部のアフリカとの違いを見つける事が出来た。

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 ジェンネとトンブクトゥの間の地域、つまりサハラ砂漠とサバンナの間の地域を半乾燥帯=サヘルと呼ぶ。今回の旅は正にサヘルを突っ切る旅だったのだが、サヘルを越すと言う事は、単に気候帯を移動すると言う事に留まらず、土の文化が砂の文化に変わると言う事であり、ネイティブアフリカとアラブ世界の境界を越えると言う事でもあったのだ。