遥かなるトンブクトゥ20トンブクトゥ2

 最後に民家の屋上に登らせて貰ってジンガリベリモスク越しにトンブクトゥの街並みを眺めた。その遥か北方にサハラ砂漠が広がっている。その光景を前に熱い想いが胸を過った。一年半前モロッコ.メルズーカのサハラ砂漠砂丘の上から遥か南を熱い想いで眺め続けた私の視線と、今サハラ砂漠の北を睨む私の視線が火花を散らして絡み合った。漸く、漸やっと繋がった...

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 過去と現在の私の視線が交差する直線、それは遥か昔アラブの商人がサハラ砂漠を渡った航路。トンブクトゥは、そのトランスサハラ交易=塩金貿易のアフリカ側の交易都市として発展した。それは物資に留まらず当時世界最先端をいっていたアラブの様々な文化、学問もこの街に溢れ、西アフリカきってのイスラームの中心都市としてトンブクトゥは栄華を極めた。

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 時の王マンサ.ムーサはメッカに向けて巡礼を開始する。そして立ち寄ったエジプト、カイロにて大盤振る舞いで金を喜捨した。しかしその金の量が半端で無かった事から、エジプトの経済は混乱をきたし10年以上インフレが続いた程と言われる。こうした事がヨーロッパに伝わり、やがて黄金伝説を作っていく。

 一方、その当時トンブクトゥを訪れたイスラームの伝説の旅人イブン.バトゥータが彼の旅行記に記述を残した事も加わり、黄金伝説とバトゥータの旅行記に呼び寄せられる様に多くの探検家がトンブクトゥを目指した。しかしサハラ砂漠の過酷な環境に次々と命を落とし、彼等はそこに辿り着く事が出来なかった。

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(ゴードン ラングの家)
 初めてトンブクトゥを訪れる事が叶ったゴードン.ラングは残念な事にヨーロッパの生活様式を捨てる事が出来ず、それが災いし帰国の途中にスパイの嫌疑をかけられ殺されてしまった。次に訪れることに成功したルネ.カイエはそれを踏まえアフリカやアラブの文化、言葉を学び、ヨーロッパ初のトンブクトゥ探検を成功し生還した男となる。

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(ルネ カイエの家)
 しかしその時彼が見たトンブクトゥは、海洋航路の発見やモロッコの襲撃に遭い、当時の黄金郷の姿は跡形も無い、サハラ砂漠に飲み込まれつつある廃墟と化した街だったと言う。その経緯からトンブクトゥと言う地名はやがてヨーロッパでは「遥かなる大地」と言う意味で使われる代名詞となった。

 トンブクトゥ...私にとっても距離もさる事ながら、その行程も本当に遥かなるものだった。目の前に広がる光景を脳裏に焼き付けながら、さりげなく肩を叩くティメに促され空港へと向かった。