遥かなるトンブクトゥ14ドゴンの里3

 崖を降り平地に出た所に井戸があり、子供達が大騒ぎしていた。近づけばどうやら水を汲んでいたバケツを繋いでいた紐の取っ手がバケツから外れてしまった様だ。昔ニジェール川から遠く離れたこの地に移り住んだ彼等にとって井戸は貴重な生命線だ。これは一大事。我々も参加し、右だ!左だ!と声を掛け合いバケツを漸く掬い上げた。

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 バケツを覗けばまるで泥水の様な色合い。これだって彼等にとって貴重な水である事には違いない。我々物質文明に暮らす人にとって、とかく彼等を発展途上国の人と見下して見てしまうものである。しかし実際どうだろう?先進国と自惚れている間に我々は発展と引き換えに大切なものを失ってきた。

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 衛生的な環境を手に入れた反面、最早我々はマリの水には耐えられない貧弱な体となり、予防接種や薬で身を固めないと旅もままならない。大きな技術力を手に入れ便利で快適な生活を手に入れた反面、以前は手先が器用と言われた日本人の姿は過去のものとなり、結び付きの強い地域社会は崩壊しつつある。

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 一方此所では我々が失いつつあるものを漏れなく手にしていた。モプティの船工房では親から子へ伝統が受け継がれ、少ない物資を廃材を駆使してリサイクルしていた。ジェンネのでは村人総出でモスクに泥を塗り治す。地域社会が成り立っていなければ出来ない芸当だ。

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 確かに彼等の寿命は短く、乳児死亡率は高く、医療の遅れ、衛生環境等彼等の抱える問題は多い。しかし先進国と言われる国々の方が自殺率では圧倒的にマリを上回る。発展がそのまま幸せとリンクしてるとは限らない。勿論技術を高め、衛生的環境を造り、快適な社会を整備した日本の先人達の努力は素晴らしいものだ。しかしもしいざその積み上げてきたモノが失われたら 、そのモノに頼ってきた我々はどう生き延びれば良いのだろう?この旅の年に起こった東北大震災は、その大きな警鐘となった。

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 村で食事を摂っていると、とても嬉しい誘いがあった。ドゴンの舞踏を見ないか?と言うのだ。世界的にも有名な舞踏で、本来60年に一度、彼等のアニミズムに乗っ取って、彼等の世界観を仮面を被り表現する壮大な舞踏。今は観光客に見せる為随時開催されるが、一人旅の私がアレンジすると高額になってしまうので諦めていた。今回偶然白人の団体が見学するので併せて見学可能となったのだ。

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 独特の仮面、独特の衣装、そして旋律、ビート。眺めているうちに、聞いているうちに、それは人間が此処アフリカで生まれ、世界に散っていった事を証明する様な人間の根元を表すかの様なそんな舞踏の迫力に私は圧倒された。それは正にルーツを表していた。それはあたかも様々な技術に身を包み、様々なモノに囲まれ生きている私達に 原点に帰れ!学び治せ!と伝えているかの様だった。