遥かなるトンブクトゥ10ジェンネ旧市街

 祭り騒ぎのモスク前を抜けて泥の迷宮に足を踏み入れる。泥一色の街並みを原色を纏った女性が頭上に大きな皿を乗せて歩いていく。その脇を子供達がはしゃぎながらすり抜けていく。

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 道端では子供達が木の板を使ってコーランを習う青空教室が開かれていた。此処にはノートに鉛筆と言ったものは無い。イスラーム圏では東は中国にしろ西の果ての此処にしろ、皆現地語以外にアラビア語を熟知している。何故ならコーランは統一してアラビア語で書かれているから。

「アッサローム・アレイコム!」

 とアラビア語で挨拶すれば

「ワレイコム・アッサローム!」

と元気な子供達の声が反ってきた。

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 泥の民家の上部には、モスク同様突起や木の板で飾りつけがなされている。これは婦人の数や子供の数等家族構成を表している。此処に限らずアフリカ全土に言える事だが、子沢山は幸せの象徴と信じられている。だから彼等はどんどん子供を生む。勿論農業に携わる者にとって子供は重要な労働の一員ともなるし、今でさえ幼児致死率は高いと言えるが、昔は更に高かったのでその損失分を補う為にも多くの子供を生む必要があったとも言える。しかしそんな此処でも最近は少しは医療が発達し、それが多産と重なって人口爆発と言う新たな問題を生んでいる。此処マリも人口の75%が25歳以下、少ない労働力で子供達を育てていかねばならない、我が国と正反対の問題を抱えている。

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 街をぐるりと回り再びモスクの前に戻れば曜日市は終わりを告げ、一斉に撤収作業に入っていた。

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 こちらもこちらで祭り騒ぎの様だった。邪魔してはいけないので再びブラリと街を歩くうちに川岸に出た。?何か地響きがする?後ろを振り向いて呆然とした。そして飛び退いた。

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 牛達も一斉に帰宅の様だ。後ろで牛飼いが必死に彼等を操っている。牛と言っても立派な角がある野性的な牛だ。夕陽をバックに土煙をあげながら猛然と走る牛の姿を呆然としたまま見送った。

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 暮れゆく川岸では少女達が選択し、子供達が船で遊んでいる。もう日本では記憶の中に薄れていく様な何処か懐かしい風景がそこにあった。

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 再び泥の街に戻る頃すっかり日が暮れた。迂闊だった。アフリカの電力事情は悪い。日が落ちると街頭も無く辺りは真っ暗になってしまうのだ。回りも泥の家ばかりで見当がつかない。でも安心して良いのだ。普段ならジェンネは落ち着いた街。治安を恐れる事は無い。道だって簡単なのだ。「グラン・モスクは何処?」と聞けば親切な村人が正解を指差してくれるから。

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 何度も指差して貰いながら辿り着いたモスク前、最早昼あれだけ埋め尽くしていた市はまるで嘘の様に跡形も無く。ただ巨大なモスクが闇夜にその偉容をさらけ出していた。