遥かなるトンブクトゥ9ジェンネモスク

 そしてその盛大な月曜市の向こうに聳えている巨大な泥の建築こそ世界に名高いジェンネの泥のモスクだ。手で泥を塗り左官するので独特の柔らかいフォルムを持つ。それ故に原始的だが前衛的でもあり、ガウディのサグラダ・ファミリアのモチーフになったとも言われている。建物に刺さる無数の木材は修復工事用の足場だがデザインにも一役買っている。

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 泥で出来た建築はモスクだけでは無く村全体が泥で出来ている。ではどうして泥の建築が生まれたのか?どの様な建築が発展するかはその国の自然に依存する。例えば雨が多く樹木が豊富な日本で木の建築が発展した。嘗ては洞穴に住み有名な壁画も残るヨーロッパは石の文化、近世でも岩を利用した住居が造られているが、石を切り出す技術が生まれると建材に石が利用される様になった。

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岩を利用した住居 セテニル スペイン

 一方此処では建材に利用できる大きな石も少なかったし、干魃の多いこの地方では木材も貴重な存在だった。故に土から煉瓦を作るのだが、焼成煉瓦にする為には多くの樹木を燃やし作らねばならないから日干し煉瓦を使う事になる。しかし日干し煉瓦は経年変化に脆い為、煉瓦の上に漆喰の役割として泥を塗る建築方が生まれた。

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 しかしやはり泥は雨期には雨で流されてしまうし、乾期には乾いてひび割れてしまう。なので泥のモスクも訪れる時期によって微妙にフォルムが違う。ネットで検索して見比べるのも楽しいだろう。尖塔が経年変化で丸くなった状態や、大雨に遭ったのか三つある内の一つが壊れてしまった写真もあった。私が訪れた11年は9年にユネスコが大規模な修復を終えた後であり、非常にシャープな印象を受けた。

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カメラマン富井義雄氏の写真集より

 この様に泥の建築は人々の丹念なメンテナンスが必須であり、100年後には見れない世界遺産にも認定されている。しかしこの面倒くささがこれまでこの村の人々を結びつけてきたとも言える。毎年一度村人総出で泥のモスクの修復が行われる。その時ばかりは旅人もモスクに入って修復工事に参加できる。面倒くささ故に人々は協力し合い、結び付きを強め、この村を守ってきた。現在、我々の社会は便利になって、便利になったが故に、協力せずとも個人で完結できる社会になって、そして結び付きは薄れる一方だ。はて?百年後に見る事の出来なくなるのはいったいどっちなのだろう?結び付きの強い社会なのか、便利な社会なのだろうか?