2017-01-01から1年間の記事一覧

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・カズベキ

漸くツアーバスがカズベキ村へ到着した。バスを降り、風景を見上げた瞬間私は思わず歓声を上げてしまった。カズベキ山が見える!先人の旅行記でも見れず終いの旅人が多かったカズベキ山、山は朝早くに見てこそナンボなところもあるから、これまでツアーメン…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・カズベキへ

今回訪れるカズベキ迄はジョージア軍用道路と呼ばれる道を行く。名前の由来は19世紀に帝政ロシアがコーカサスに侵軍する為に整備した道だからだ。が、平和が訪れれば、その道中の美しさで有名になり、今となってはジョージア随一の見所となっている。 (ジ…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・メスティア~

往きは寝台列車で楽々だったが帰りは時間が合わずマルシュルートカで一気にトビリシまで戻る。乗り合いバスで約9時間の移動は結構シンドイ。今こそ平和なこの道も、先に述べたアブハジア紛争当時はアブハジアからの難民等が隣接するこの地域に流入し、治安…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・メスティア

彼女が伝えたかったメスティアの素晴らしいところは具体的には解らない。だけど自分なりに調べ訪れてみる事にする。メスティアにもウシュグリ同様復讐の塔が林立している。 しかし塔のある風景ならウシュグリで存分に見てきた。だからメスティアに幾つも設け…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ウシュグリ3

翌日起きると昨晩通り過ぎた雷雨が嘘の様なド快晴。声が出てしまいそうな位感動する。 跳ねる様に起きて昨日感動した場所へと向かう。 ウシュグリは往きはヨイヨイ帰りは…だ。人が集まらなければ車は出ない。メスティアへは早めに帰りたいので午前のなるべく…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ウシュグリ2

それにしても長閑過ぎる風景に圧倒された。嘗ての血塗られた因習の塔も、今ではこの美しい風景の引き立て役に過ぎない。アルプス、ヒマラヤ、美しい雪山は世界中、いや日本にだってある。だけどこの塔がある風景は世界で此処だけだ。 そうこうしている内に村…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ウシュグリ1

まるで壊れたジェットコースターの様な車の旅が終わり、漸く私はウシュグリ村へと到着した。同乗の旅人の大半は2時間の滞在時間で日帰りする様だが、バスから覗いた車窓と予想以上に天気が回復した事から、態度を保留していた私は一泊する事を決断。マルシ…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ウシュグリへ

熱々の風呂を頂いて、再び寝台列車で西へと向かう。次の目的地はウシュグリ村。標高2200M、ヨーロッパの定住村としていは一番標高の高い場所に位置するコーカサス山脈の麓の村だ。この村は絶景の村として有名であるだけでは無く、復讐の塔が建ち並ぶ、風景の…

シルクロードを西へ!コーカサス編jジョージア・トビリシ3

ナリカラ要塞を徒歩で降りてきた界隈は、モスリムが多く暮らす地域でモスクもある。そんな地域にモスクのドームが連なった様な建物が密集している。ハマム街だ。ハマムとはイスラーム式の風呂で、トルコ等一般的にはサウナ風呂タイプのものが多いが、温泉の…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・トビリシ2

ユダヤ人街から少し歩くと漸く旧市街の中心ゴルカサリ広場に到着した。私はまたまた驚いた。 「なんてトゥーリスティックなんだ!」 先程までの少々窶れた街並みとは打って変わり小綺麗なレストランや土産物屋や両替屋が立ち並び、目前には川を挟んでトビリ…

シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・トビリシ1

トビリシに到着し両替を済ませたら手荷物預かり所へ私は向かった。トビリシに到着するまで、私はその先の旅程に悩んでいた。一旦トビリシに滞在し体を休めてから先に移動するか?それとも今夜も夜行列車に乗って先を目指すか? トビリシに着いてしまった以上…

シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン6

寝台列車に乗る為、駅前の売店で飲み水とパンを買い込み、同じ様な客車がホームに幾つか止まっていたので、駅員に尋ね、チケットと照らし合わせながら自分の客車を探し乗り込んだ。すると中から何を言っているのか解らないが凄まじい剣幕で巨漢のオバチャン…

シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン5

翌日は昨日旧市街を散策中に声をかけられた、バクー郊外の見所を回るツアーに参加した。アゼルバイジャンは観光にも力を入れ始めたとは言え、未々未整備な部分も多く、郊外の見所を見ようとすると、時間がかかってしまったり、タクシー代が高くついてしまっ…

シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン4

旧市街を抜けた後は翌日の夜、ジョージアのトビリシに行く為の夜行寝台の乗車券を手に入れにバクー駅へと向かい、そこから東に歩いてカスピ海沿いに出た。カスピ海沿いは広大な湾岸公園となっており、気温が低くなる夕方から夜にかけてバクーっ子で大賑わい…

シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン3

殉教者の小径から降り、旧市街へと入った。その一角に一番賑わう場所がある。そこに建つのが旧市街のシンボル乙女の塔だ。12世紀に建てられたものだそうだが、元の部分はそれより遥か昔に建てられており、それが何の為に建てられたかははっきりしない。 嘗…

シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン2

ホテルに到着して送迎を付けて良かったと思った。旧市街からは離れているし、個人経営の民宿にはゲストハウスの表示さえ無い。自力で向かっていたら見つけられなかった筈だ。しかしホストの彼は親切だし部屋も申し分ない。 早速荷物を置いて外に出た。並び立…

シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン1

折角乗り継ぎの良い便を選んだのに、ドーハで搭乗待ちやら何やらで小一時間程待たされた。もう私の心は餌を目前にお預けを喰らった猛獣の如しだった。飛行機が漸く高度を下げ始めた。眼下には紺碧のカスピ海が広がっている。カスピ海はとてつもなく広く、日…

ただいま!

お待たせしました。 コーカサスに行って参りました。 通常より長丁場の旅、複雑怪奇な歴史を辿った三つの国、その情報量も去る事ながら、連続する長距離移動、茹だる様な炎天下の日々、かと思えば震える様な寒さも味わい、体力的にもギリギリの旅となりまし…

いってきます!

こんばんは ただ今成田空港、既に出国を済ませ出発を待つのみです。出発まで随分時間があったにも関わらず、毎度の通り慌ただしい出発となりました。慌ただしく荷物を詰め込み、忘れたものは空港で買い足し…。これからも現地で色々足りないものが出てくる事…

シルクロードを西へ!イラン編最終回

私がイマーム広場最後に訪れた場所は西に建つシェイク・ロトフォラー・モスク。このモスクはイマーム・モスクに比べ一回り小さい。王室専用のモスクであるから礼拝の時を告げるミナレットも無ければ、多くの信徒が集団で礼拝する為の中庭も無い。だから一見…

シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン3

二つの宮殿を見終わった後、私は広場の北に位置するバザールの門を潜った。バザールは天葢に覆われ、明かり取りから仄かな日が差し独特の雰囲気を醸し出している。最初の内こそ土産屋が目立つが、次第に庶民の為の店が建ち並ぶ。 道は曲がりくねり幾重にも分…

シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン2

ヨーロッパから訪れた商人や外交使節に「此処を訪れた事は、世界の半分を訪れた事に値する」と称されたイマーム広場。縦510M横163Mに及ぶ広大な広場にはイスファハーンの全てが集約されている。 広場には芝生が敷き詰められ所々に涼しげな噴水が設けられてい…

シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン1

さて、私がイランで訪れたもう一つの古都、それはイスファハーン。古くはシルクロードの交易の街として栄え、1597年(日本で言えば徳川幕府が始まった頃)、サファビー朝全盛期のシャー(王)アッバース一世の時、サファビー朝の首都として新造された。 その…

シルクロードを西へ!イラン編シーラーズ2

シーラーズにはもう一つ、旅人を呼ぶ見所がある。シーラーズ郊外に残された遺跡ペルセポリスだ。中東の3Pと言う言葉が旅人の用語にある。ヨルダンのペトラ、シリアのパリュミラ、そして此処イランのペルセポリス。中東を代表する遺跡の共通の頭文字Pを取っ…

シルクロードを西へ!イラン編シーラーズ1

前回述べた通りシルクロードとは特定の国や企業が作ったものでは無く、自然発生的に出来上がった東西の交易路であるから、東西の起点となる街も、そのルートも決められたものでは無い。それ以上に自然発生的な交易路であるから、交易ルートは幾重にも分岐し…

シルクロードを西へ!次なる旅へ!

昨年、私はチベットの旅行記を書いた。それがチベット仏教を国教とする世界で唯一の国、ブータンへ旅するきっかけとなった。今年に入って私はシルクロードの旅行記を書き始めた。またムクムクとシルクロードへの旅の想いが募り始めた。 私は当初シルクロード…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編最終回

チョルスー・バザールで先ず始めに私が向かったのは食道街だ。その中でイスラーム帽を被ってモクモクと煙を上げながら、黙々とシャシリク(串焼き)を焼いているオジサンに惹かれて私はその店でシャシリクをご馳走になった。 腹を満たした後はいざバザールに…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編タシュケント1

往きは鉄道、そして車で砂漠を越えて時間をかけて移動した道程も、帰りはプロペラ機であっという間にタシュケントに戻った。旅を始める迄帰りの便のフライトスケジュールが未定だった為、空港からタシュケントの市街迄のアクセスは自力で向かう事を覚悟して…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ヒヴァ7

世界遺産で繰り広げられた小さな天使の撮影会も終わり、私は民族舞踏が行われるアラクリ・ハーン・マドラサに向かった。舞踏は先ずオジサン、オバサン、若者に子供と言う編成の舞踏から始まった。子供が道化役となって良い味を出している。しかしこれは前座…

シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ヒヴァ6

ヒヴァの内城イチャン・カラは世界遺産であると共に、其処に暮らす人々にとっては日常だ。 日中は観光客が大手を振って歩き回る其処も、学校が終われば子供達の遊び場だ。観光客は彼等にとって、学校で学んだばかりの英語を試す格好の遊び相手でもある。私に…