シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン4

 旧市街を抜けた後は翌日の夜、ジョージアトビリシに行く為の夜行寝台の乗車券を手に入れにバクー駅へと向かい、そこから東に歩いてカスピ海沿いに出た。カスピ海沿いは広大な湾岸公園となっており、気温が低くなる夕方から夜にかけてバクーっ子で大賑わいとなる。

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 そんな夕暮れのカスピ海を遊覧船から眺めてみた。フレイム・タワーと夕陽が被りまるで燃えるが如くの夕焼けだった。波止場に戻って日没後の海沿いを旧市街まで散歩した。数多くのバクーっ子とすれ違う。観光の出だしに訪れた殉教者の小径の昇り口に差し掛かる頃夜の帳が降りた。ちょうど21時頃だ。

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 フレイム・タワーのイルミネーションが始まった。このイルミネーションはLEDを利用しているので細かい動きを表現できる。三つのタワーがそれぞれ、アゼルバイジャンの旗の色、旗を掲げる人、そしてアゼルバイジャンの象徴である炎の動きをアニメーションで演出する。

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 この目立つタワーは街の至る場所で見れるから、タワーに見送られるように夕食を食べ、ホテルへと戻る。しかし私は肝心な場所でミスを犯してしまった。往きにメトロの旧市街の最寄りの駅を真っ正面に見て此処へと来たのに、駅に沿った道を進んでしまったのだ。

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 真っ直ぐ歩いてきた筈なのに、急に進めなくなり?と思って曲がると突然シュマハ門に出てしまい、そんな筈は無いのだけど…と思いながら道を曲がれば、前回述べた街の中心に出て驚いた。マックやらハードロック・カフェやら、出店も出てまるでお祭り状態の広場に出て驚いた。此処はパリか?ロンドンか?それともニューヨークか?

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 私は自分がどこにいるのかサッパリ解らなくなってしまった。ホテル名等個人宅みたいなものだから聞いても解る筈も無く、通り名も通じない。散々迷った挙げ句、ビルの隙間に見える丘の上のネオンを頼りに私は歩き始めた。私の宿は坂の上にあるのだから。

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 どれくらい歩いただろう?いつしかあれだけ明るかったライトアップは無くなり、道を照らすべく電灯さえ無くなっていた。石造りの家で窓が少ないからだろうか?窓明かりも数少ない。人通りも少なければ、いたとしても顔さえ判別がつかない暗さだから話しかけたくも無い。話しかけてもお年寄りなら英語が通じない。懐中電灯が欲しいくらいの暗さの道を通り抜け、やっと高台の大通りに出れば、見覚えのある高層ビルが遠くに見えた。

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 さっきのあの暗い一帯は、いったい何だったのだろう?カスピ海から産出される石油は、それまで国民の50%を占めた貧困層を5%まで下げたと言う。しかし石油に携われた人と、そうでない人、その所得の差は大きい筈だ。エネルギーが安いとは言え、バスやメトロの余りにも安い賃金設定が、庶民がそれほど所得を得ていない現実を示している様に感じる。あの暗闇の一帯は、そのままこの国の暗闇を表しているのではなかろうか?

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 街の中心部のネオンの輝きと、丘の上にそそり建つ高層ビル群、その間に挟まれて電灯も疎らな暗い一帯に暮らす人々はその灯りをどんな想いで見下ろし、見上げているのだろう?貧富の差、格差社会は日本も同様だ。旅人は輝かしい明かりしか目に入らない。暗闇はいつだって見過ごされていく。ちょっと胸が痛くなった。