シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ウシュグリ3

 翌日起きると昨晩通り過ぎた雷雨が嘘の様なド快晴。声が出てしまいそうな位感動する。
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跳ねる様に起きて昨日感動した場所へと向かう。

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ウシュグリは往きはヨイヨイ帰りは…だ。人が集まらなければ車は出ない。メスティアへは早めに帰りたいので午前のなるべく人が集まりやすい時間帯に車の出発する場所へ戻らなければならない。それでももう一度あの場所にはいかなきゃ気が済まない。

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昨日も歩いた道なのにワクワクが止まらない。

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明日になれば、当分歩く事が出来ないだろうこの道を噛み締める様にして歩く。

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 まるで私を見送ってくれるかの様な雲ひとつ無い景色の前で、もう一度私ははっちゃけた。

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昨日見た筈なのに快晴だと断然に景色が違ってくる。

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大地に大の字になり、地雷(動物さんの落とし物)に触れぬ様にほふく前進。

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絶景に花々も踊る。

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お花畑のお花を倒さない様に気を付けて進む。

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一息入れようと景色を眺めてただただため息をつく。

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そこにはもし天国があるのだとしたら、こんな景色なのではないかと言う景色が広がっている。

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もしかすると昨日、タマラ女王の塔から降りる時、私は崖から落っこち…本当に天国に来てしまったのでは無いか?

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右の頬をつねってみた。

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普通に痛かった。

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でも此処が本当に天国に近い場所なら私はいつまでもこうしてはいられない。

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未だ私は天国に行くべき時では無いから。未だ旅したい場所は五万とある。

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さようならウシュグリ。私はこの光景を脳裏に焼き付けた。

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 再びデコボコ道にシェイクされながら私はメスティアへ戻った。途中案の定車はパンクする。でもそんなの日常と言わんばかりにドライバーはタイヤを替えて走る。上下左右に揺られつつ考える。こんな時間がいつまでも続けば良いなぁと旅人は考える。でも地元の人達はどうなのだろうか?店と言う店が無い。いざ病気になってもこのデコボコ道を越えるより手段は無い。TVくらいはある。街の賑やかな番組を観て、ウシュグリの若者達はどう感じるのか?

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 本当に此処は理想郷なのか?では実際此処に暮らして良いよって事になったら、自分はイエスって即答出来るのだろうか?人って本当に無い物ねだりな生き物なのかもしれない。そしてその無い物ねだりを補完出来る方法こそ旅なのかもしれない。

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 メスティアに到着した。そのままトビリシに戻っても良いのだけど、私はメスティアの街も見てみたかった。メスティアはウシュグリへ旅する者達にとって拠点となる街だ。途中にスキー場もあり、年々観光客は増えていくので国の政策としてスイスの様なリゾートタウンを目指そうと環境整備に力を入れている。

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 だから年々道路や宿泊施設が整えられていく一方、バックパッカーを中心に秘境を目指す旅人にとってメスティアは観光開発され過ぎた場所と言う認識が強くなりつつある。

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(メスティアではウシュバ山が出迎えてくれた。)
 実は私はトビリシからズグディディに向かう寝台列車でとある家族と知り合った。メスティア生まれの女性は家族をつれて故郷に帰省する為列車に乗っていた。

「私の実家はゲストハウスもやっているの良かったら泊まらない?」

 彼女は言った。宿の検討もつけていなかった私にとって願ってもない話だったが私は遠慮した。到着したら先ずウシュグリへ向かうか、メスティアに一泊してから向かうか、到着してから決めたかったからだ。(結局そのまま向かう事となったが…。)彼女は残念そうな表情をするとこう言った。

「ウシュグリか…。みんなウシュグリに行くわよね。でもメスティアにも、もっと、もっと、良いところあるのよ!」

 街が目覚ましい勢いで発展していく。それは地元の人達にとっても喜ばしい事だろう。でもそこに訪れる旅人は皆一斉にウシュグリを目指して通過していく。それはそれで地元の人々にとっては歯痒い想いもあるに違いない。私はなんて気の回らない男なのだろう!猛烈に反省。彼女への贖罪の気持ちと、それ以上に彼女の言いたかった素晴らしいところ、そのほんの一部かもしれないけれどタンと見てからメスティアを去ろうと思う。