シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン1

 折角乗り継ぎの良い便を選んだのに、ドーハで搭乗待ちやら何やらで小一時間程待たされた。もう私の心は餌を目前にお預けを喰らった猛獣の如しだった。飛行機が漸く高度を下げ始めた。眼下には紺碧のカスピ海が広がっている。カスピ海はとてつもなく広く、日本の面積より遥かに広い。果たしてカスピ海は世界最小の海なのか?それとも世界最大の塩湖なのか?どっちだって良いじゃん!との返事が聞こえてきそうだが、そう言う訳にもいかない。湖と海とでは引かれる国境線の位置が変わってくるからだ。湖なら慣習的に周辺国の均等配分となるが、海となれば各国が排他的経済水域を設定する事が出きる。

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 ならカスピ海は内陸にあり海と繋がっていないのだから湖では無いか?と思うかもしれないが、アメリ五大湖は海と見なされ排他的経済水域が定められているからややこしい。世の中、原則等あって無いに等しいのだ。更にカスピ海の場合、ロシア、カザフスタントルクメニスタン、イランそしてアゼルバイジャンカスピ海を取り巻く国々も多いばかりか、宗教も民族も文化も異なる国々ときているから更にややこしい。そして更に厄介な要素がある。石油だ。

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(ドーハ空港名物ライトがぶっ刺さったテディベア)
 カスピ海には多くの海底油田が含まれる。即ちカスピ海が海であるか湖であるかで周辺各国の石油の利権の配分が変わってきてしまうのだ。だから自分の領内に油田が豊富にある国は排他的経済水域を設定できる海を主張し、そうでない国は湖を主張する。途中油田が発見されると、それまで湖と主張して憚らなかったロシアが一転して海だと主張を始めたのがあからさまで解りやすい。さてカスピ海は海なのだろうか?湖なのだろうか?

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(ドーハからバクーへ)
 アゼルバイジャンは、そんな状況のカスピ海の石油問題がある中、カスピ海に於ける産油をリードする存在だ。アゼルバイジャンの産油の歴史はアラブ等より遥かに古く、嘗ては石油と言えばアゼルバイジャンと言われた程だった。では何故日本でこんなに認知度が低いのか?それは1960年代に陸上に於ける油田が底をつき、それ以来産油の中心がアラブへと移ったからだ。しかし90年代にソビエト解体~独立、海上油田の発見、そして石油価格の高騰と言う条件が揃い、アゼルバイジャンは、日本人の知らぬ間に、時の波に乗って飛躍的発展を遂げたのである。昨年石油価格の暴落により勢いは低下したものの、首都バクーは、カタールのドーハと共にポスト・ドバイと囁かれる街のひとつである事に揺るぎは無い。

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 石油枯渇の将来を見据え、徐々に観光にも力を入れ出したか、それまで煩わしかったヴィザも空路限定でアライバルでの取得が可能となり、更に日本人だけ無料(何故?)と言うオマケもついて、今回の旅を大きく後押ししてくれた。そして空港に辿り着けば真新しい空港の斬新なデザインに驚かされる。

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(バクーヘ着陸!)
 ドーハでブッキング.コムで予約したホテルから連絡があり空港まで迎えに来て貰えたので市内までも楽チン。タクシーの運ちゃんがホテルの従業員かと思っていたら、なんと支配人(とは言っても彼の個人経営なのだが)。アゼルバイジャンに限らずコーカサス3国では、安宿は個人経営(民宿)のスタイルが定番の様だ。

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(超モダンなバクーの空港)
 車が走り出せば片側三車線はある大きな通りが街へと続く。両側にはヨーロッパの街並みを模した様な造りの建築が次々と作られている。思っていた以上に洗練されている。道路の中央の各電柱にはF-1の垂れ幕がそれぞれ掲げられていた。

「F-1が開催されるのですか?」

「一昨日行われたんだよ!」

 残念そうな表情を見せつつも内心ではホッとした。ニアミスだった。大抵こうしたマツリゴトは普通の観光に支障となる。ホテルは満室になってしまうし、列車のチケットも危ないだろう。観光制限だって出てくるだろう。それにしても日本では全く知名度が無いバクーだが、欧州ではF-1開催するだけの地位の都市だと言う事になる。