シルクロードを西へ!イラン編最終回

  私がイマーム広場最後に訪れた場所は西に建つシェイク・ロトフォラー・モスク。このモスクはイマーム・モスクに比べ一回り小さい。王室専用のモスクであるから礼拝の時を告げるミナレットも無ければ、多くの信徒が集団で礼拝する為の中庭も無い。だから一見こじんまりとした印象を受ける。

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 内部に入ると緻密な装飾タイルで埋め尽くされた狭い回廊を進む事となる。これも入り口から直礼拝室に入る事が通例のモスク建築では異例な事だ。これはイマーム・モスク同様、礼拝室がメッカに正対出来る様に設計された結果こうなった。

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 しかしこの構造にはもう一つ、設計者の意図があったと私は感じた。狭い回廊を何度か曲がったその瞬間、礼拝する者は開放的な礼拝室に投げ出される。それは狭いトンネルを抜け出た時の開放感と同じ効果を生む。其処には緻密なアラベスクアラビア文字を芸術化したカリグラフィで覆い尽くされた宇宙があった。

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 天を仰げば孔雀の羽が描かれていた。イスラームは偶像を描けない。だからイスラームの芸術家が描いたのは孔雀の羽の紋様だけだ。

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 しかし採光窓から漏れた光が差した時、その紋様は命が吹き込まれ、孔雀が舞った。イスラームの美意識に絶句するしか無かった。

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 広場に戻るとそろそろ夕暮れが訪れた。広場を見下ろせるチャイハネでシーシャ(水煙草)をたしなみながら広場の風景を楽しんだ。暑いイスファハーンで広場の噴水に涼を求めるのか、広場はイランの家族連れでごった返していた。

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 シェイク・ロトフォラー・モスクの脇のレストランで夕食を頂いた。イランの女性教師の一団と会話しながらの楽しい夕食となった。広場に戻って驚いた。長話で夜も更けていたにも関わらず、広場は地元の家族連れで賑わい続けていた。

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 私は驚きながらも目を細めつつそんな光景を楽しんだ。これが日本では危ないと言われ続けたイランの真実の姿なのだ。イランを危ないと言う日本で、深夜に家族連れで寛げる公園はどれ程あるのだろう?ニューヨークのセントラルパークに夜訪れるなんて自殺行為だ。

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 いや例えそんな場所があったにせよ、今の日本に家族で公園で夜を過ごせる余裕なんてあるだろうか?イランの人々は家族をとても大事にし、家族と一緒にいる時間こそ幸せな時間だと考えると言う。私が結婚してない事。一人で暮らしている事を聞いて、何度も信じられない!と言われた。

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 日本人が家族より仕事を大切にするなんて答えたら、親日の彼等のイメージを崩してしまいそうで口をつぐんだ。いったいどちらが幸せなのだろう?旅を続けていると幸せに対する価値観を揺さぶられる。

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 そして旅は真実を教えてくれる。世界中何処だってその国の人々と解り合える、笑顔を交わせる。私達は日々この小さな島国で、権力者達の企みで、仮想敵国を作る様に報道を通して洗脳されているだけで、そんなもの拭い去って島の外に出さえすれば、そこに真実が待っている。敵だと思っていた、危ないと信じていた国の一般の人々の屈託の無い笑顔が。

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 短い旅だったがイランの芸術の極みと、それに負けないくらい多くのイランの人々の笑顔に出会った。イメージに負けず、旅して本当に良かった。