シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ウシュグリへ
熱々の風呂を頂いて、再び寝台列車で西へと向かう。次の目的地はウシュグリ村。標高2200M、ヨーロッパの定住村としていは一番標高の高い場所に位置するコーカサス山脈の麓の村だ。この村は絶景の村として有名であるだけでは無く、復讐の塔が建ち並ぶ、風景の美しさとは相反する様なおどろおどろしい因習が残されていると言う。
その村に向かうにはマルシュルートカを西へ9時間ぶっ通しで乗るか、寝台列車とマルシュルートカを乗り継いで拠点となる街メスティアに向かい、更に悪路を3時間走らなければならない。私は一泊分浮かせると同時に移動も出来る寝台列車を選択した。連日の暑さと、詰め込み過ぎの日程で、疲れもあったのだろう。すぐ寝込み、
「ズグディディ!ズグディディ!」
と大叫びする車掌に叩き起こされる。ヤバイ!此処でウシュグリを目指す一向は、マルシュルートカと呼ばれる乗り合いバスに乗り換えて、ウシュグリ観光の拠点となるメスティアと言う街を目指さなければならない。満員になる前に捕まえなければ!
そんなこんなで無事マルシュルートカを捕まえる事に成功、マルシュルートカはぎゅうぎゅう詰めの状態で出発。それも辛いが、逆に人数が揃わないと出発しないので少なすぎるともっとプロブレムだ。
コーカサス諸国はアジアなのだろうか?ヨーロッパなのだろうか?旅を始める前から疑問に思っていた。何せ地形的にはカスピ海を挟んで東は中央アジア、黒海を挟んで西は東欧。非常に微妙な地域にある。旅行代理店等のHPの地域で検索するとヨーロッパでヒットする事が若干多い気がするけど、海外旅行保険ではアジアの括りになっていた。
実際訪れてどうだろうか?国々の政治レベルではどの国も完璧にヨーロッパに目が向いているのは事実だ。ロシア、ソ連時代に新市街が形成された部分が多いから街並みもヨーロッパ然としている。暮らしている人々の顔立ちもほぼヨーロッパ系の人が多い。
(ティトヌルディ山がお出迎え)
しかし生活様式を見ると大きく印象が変わってくる。先ずトイレ。旅行者向けの施設を外すと中東からアジアにかけて普及している日本とは逆向きにしゃがむタイプのトイレが主流で、トイレはまるっきりアジアだ。
(メスティア到着)
そして今乗っているマルシュルートカ。つまり定員になったら出発タイプの乗り合いバス。これらもアジアに多い形態だ。その他にも混沌としたバザールの雰囲気、良い意味でも悪い意味でも緩い雰囲気。そんな人間の生活、思考的もので言えばコーカサスはまるっきりアジアだ。
(愛の塔)
私の結論としてはコーカサスはヨーロッパの皮を被ったアジアだと言う事に落ち着きそうだ。
(愛の塔内部)
そうこうしている内にグングン標高を上げていったマルシュルートカはメスティアの街に到着した。ほんの数年前までは未舗装でだいぶ時間を要した様だがズグディディから3時間半で到着する事が出来た。周囲を取り囲む様な白銀の山々にすっかりテンションが上がる私。
(愛の塔からの眺め)
マルシュルートカを降りると、すぐウシュグリへ行かないか?とお声がかかった。今日はメスティアで1泊し明日ウシュグリ日帰りにするかどうか迷っていたが、明日メンバーが集まるかどうかは解らない。お声がかかった時が行き時かもしれない。その話に乗る事にした。
再びマルシュルートカの乗客となり山道を疾走する。しかし疾走出来る部分は前半のほんの少しだ。後半の峠道は未舗装のデスロード。たった50kmの道程に3時間弱も要する。車は要所要所で停まってくれて、我々に写真を撮らせてくれた。
途中塔が川沿いにひとつだけ建っている場所がある。これは復讐の塔では無く愛の塔と呼ばれている。バクーの乙女の塔久しく、この塔も悲劇的な女性の逸話が残されている。逸話には幾つかのパターンがあるが、どれも残された女性がこの塔に暮らす事となって終わる。
この塔は登る事が可能だ。復讐の塔の入り口は一階では無く二階にある。その入り口には梯子で登る。敵襲が来たら梯子を格納してしまえば敵の侵入を遅らせる事が出来る仕組みだ。各階の階段も然りの仕組みとなっており、最上階には銃眼となる窓が開けられている。
(車窓から写してます。この流れの上を正に今、車は走ってます。4WDではありません。おかしくない?)
その愛の塔付近から道の激しさは増していく。すれ違いが出来ない様な細い未舗装の道、なで肩の路肩を踏み外せば奈落の底だ。車は小さな滝の流れなぞ橋も無く平気で渡って先を行く。
窓から見える風景は絶景だが、窓の下は覗きたく無い。車は路肩ギリギリをすり抜けていくから…。