シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・トビリシ1
トビリシに到着し両替を済ませたら手荷物預かり所へ私は向かった。トビリシに到着するまで、私はその先の旅程に悩んでいた。一旦トビリシに滞在し体を休めてから先に移動するか?それとも今夜も夜行列車に乗って先を目指すか?
トビリシに着いてしまった以上結論を出さねばならない。私は夜行列車に乗る事にした。何故なら私が向かおうとしている場所は、道中も悪路で有名で、しかもそこ迄は客が集まったら出発の乗り合いバスで向かう事になる。二連泊夜行列車は体に負担をかけてしまうが、不確定要素は旅の前半に済ませておきたかったのだ。
先ずは聖なる山を意味するムツミンダ山にケーブルカーで登った。頂上からはトビリシ全体の景観が楽しめると共に、街を歩き始める前に見所の立地を確認する事も出来る。帰路はケーブルカーを使わず登山道から降りた。降り口を見つけるのに難儀したが、登山道は整備されていて歩きやすかった。
そこから観光の中心となる旧市街まで歩いて向かった。驚いた事は車が止まらない事。アゼルバイジャンであれだけ止まってくれた車が我先にと走り去っていく。国が変われば国柄も変わる。
(目指す旧市街をアップして眺める。)
また、私が旧市街へ向かった道が、一般的に観光客が旧市街へ向かう道では無く、外れから入った事もあるかもしれないが、2階のテラスが道路に張り出すアゼルバイジャンと同様のトルコの建築様式であるにも関わらず、かなり老朽化し、時に廃墟に近い建築が現役で使われていたり、アゼルバイジャンと比べ、所得が明らかに低い事を感じた。
旧市街の中心に足を進め再び驚いたのは、六芒星のマークが散見するスポットがあった事。それはユダヤ人地区を意味している。後に知ったが、トビリシはイスラエル建国前、多くのユダヤ人が暮らしていた街でもあったと言う。そんな経緯からか旅の途中多くのイスラエル旅行者と出会う事となった。
またトビリシ旧市街はユダヤ人に限らず、狭い範囲の中にアルメニア人、モスリムが暮らす地区がある。まるでコーカサスのエルサレムの様な街だった。アゼルバイジャンとアルメニアの紛争の結果、両国の居住者の割合はそれぞれ殆どがモスリムと殆どがアルメニア使途教会の信者が占める国となってしまった中で、ジョージアはジョージア正教を国教としながらも、他の二国と比べ、様々な宗教を信仰する人が暮らす国となっている。中でも首都トビリシはコスモポリタン的性格が強く、それが旅行者にとって滞在しやすい雰囲気を醸し出している。
(旧市街の中心に建つメテヒ教会の尖塔が見えてきた。)
トビリシ…車に轢かれそうになって、ファーストインプレッションこそ悪かったものの、どうやら楽しい滞在になりそうな予感がしてきた。