シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン3

 殉教者の小径から降り、旧市街へと入った。その一角に一番賑わう場所がある。そこに建つのが旧市街のシンボル乙女の塔だ。12世紀に建てられたものだそうだが、元の部分はそれより遥か昔に建てられており、それが何の為に建てられたかははっきりしない。

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 嘗て此処がモンゴルに征服された時、モンゴルのハーンに結婚を迫られた娘が、この塔から身投げしたと言う悲しいエピソードが名前の由来になっている。嘗ては海岸沿いだったと言う。

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 そこから狭い通りを抜けると、当時の隊商宿キャラバン・サライを改装したレストランがある。隊商宿はシルクロードの街に沿って点々と設けられ、バクーがシルクロードで賑わった街であった事を物語っている。

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 その先に行くと道幅が広がる。昔バザールが開かれた場所だと言う。その向こうはシルクロードを旅する者達が潜ったシュマハ門だ。門が見たくて一旦外に出て驚いた。ここもF-1コースなのだ。しかも城壁沿いに道はS字を描き更に緩い坂となっており、超テクニカルコースとなっている。レースでも最大の見所だったのではないだろうか?

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 城壁内に戻って城壁沿いを進むと、嘗てこの地を治めたシルヴァン・シャフ・ハーンの宮殿に辿り着く。宮殿は15世紀に土着のシルヴァン王朝により建造されたが、16世紀以降はサファビー朝ペルシャオスマントルコに交互に占領される。この時この地に流入したトルコ系の民族が、現在のアゼルバイジャンの直接の先祖となる。

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 宮殿と聞くと、欧州の様な貴族の豪邸を想像しがちだが、イスラームの場合、中にはモスク、ハーレム、霊廟、ハマム(浴場)等が残り、王族の行政とプライベート空間が加わった建築群である場合が多く、此処も例外では無い。内部には展示品も多く当時の文化を垣間見る事が出来る。彩色こそ残っていないが形状からはウズベキスタン中央アジアの建築様式を強く感じた。

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(宮殿内に建つ裁判所)
 宮殿を出て旧市街の路地に入る。石造りの旧市街は綺麗に整備されてまるで西欧の都市の旧市街の様だが、二階のバルコニーが道路に覆い被さる様に突き出る建築様式はトルコからの影響だ。バクーだけに止まらずコーカサスはこの様に中央アジアペルシャ、トルコ、ロシアと様々な影響を様々な部分で見てとれる事が出来た。

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 ただ歩いてみた感想として、どこかやっぱりソリッド過ぎる感覚が残った。その原因は何か?それは商店にある気がする。レストラン、土産屋、そうしたトゥーリスティックな商店は数多くある。地元向け小さなマーケットも幾つかある。しかし普通にあるだろう商店が見当たらない。多分旧市街から其ほど歩く事無く新市街の商店街に行けるので皆そこへ行ってしまうからだろう。

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 だからアラブや北アフリカで見られる旧市街の様なスークが残る事無く、それにより旧市街内の生活感が希薄に感じ、ソリッドな感触を私に与えたのだと思う。

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 後に歩いて解ったのだが、シュマハ門から歩いて直ぐの場所に、バクーでも目抜きだろうと思われる広場と通りがあって、そこが日本で言えば銀座と表参道を足した様な場所となっており夜中でも人でごった返していた。旧市街にスークが無くなってしまうのも致し方無い事なのかもしれない。