シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン1

 さて、私がイランで訪れたもう一つの古都、それはイスファハーン。古くはシルクロードの交易の街として栄え、1597年(日本で言えば徳川幕府が始まった頃)、サファビー朝全盛期のシャー(王)アッバース一世の時、サファビー朝の首都として新造された。

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 その栄華は欧州から訪れた使節

「イスファハーン・ネスフェ・ジャハーン」

(イスファハーンは世界の半分!)(イスファハーンを訪れる事は、世界の半分を訪れたに等しい。)と語った程だったと言われる。私はその確信のイマーム広場を後に回し、その他の見所からイスファハーンを楽しむ事にした。

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 イスファハーンにはイランの北西に位置するアルメニア人の暮らす地区がある。そこに建つヴァーンク教会は一見モスクの様で明らかに他のアルメニア教会と異なるデザインだ。

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 此処に暮らすアルメニア人は、サファビー朝の首都建造時に職人として呼ばれて住み着いたと言われる。しかしアルメニア人はキリスト教徒、彼等はアッバース一世に信仰の自由を求めた。

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(ハージュー橋)
 そしてアッバース一世は彼等に信仰の自由を許可した。しかし此処の周囲は殆どがイスラーム教徒が暮らす土地。彼等は信仰の自由を許可してくれたアッバース一世を讃える為、周囲のモスリムを刺激しない為、敢えてモスクに似た作りで教会を作ったのだと言う。現世になっても、宗教の違いによる争いは絶えない中、見習いたいエピソードである。

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(ハージュー橋)
 このアルメニア人地区はイスファハーンを流れるザーヤンデ川の川向こうに位置した。アルメニア人地区と街の中心を結んだ橋。それが私が次に訪れた場所。其処にはハージュー橋とスイー・オ・セ橋と呼ばれるイスラームの伝統的な美しい橋が残っている。

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(ハージュー橋)
 これ等の橋は、その造形の美しさだけに留まらず、人が渡ると言う役割だけでも無い、もう一つの重要な役割がある。ダムとしての機能だ。その理由にこの地方は砂漠が多い乾燥帯、流れるザーヤンデ川さえ海に辿り着く事が無い尻無し川だ。川の水量や街の水の需要に応じて一定の水量を確保する必要があったのだ。

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(スイー・オ・セ橋)
 古の人々の知恵と美意識を堪能した後は満を持して世界の半分とさえ言われたイマーム広場に向かう事とする。