シルクロードを西へ!イラン編イスファハーン2
ヨーロッパから訪れた商人や外交使節に「此処を訪れた事は、世界の半分を訪れた事に値する」と称されたイマーム広場。縦510M横163Mに及ぶ広大な広場にはイスファハーンの全てが集約されている。
広場には芝生が敷き詰められ所々に涼しげな噴水が設けられている。広場の四方には二階建ての回廊が取り囲み、その内部はバザールとなっている。
広場の東西南北にはそれぞれ重要な施設が配置されている。東に王族専用のシェイク・ロトフォラー・モスク。西にアリー・カプー宮殿。南にイマーム・モスク。そして北には庶民の経済を支えるバザールの入り口と言う具合だ。
それでは先ずアーリー・ガープー宮殿から見ていこう。宮殿は広場で一際高い高層建築で、テラスからは広場全体を眺める事が出来る。王族はこのテラスから広場で繰り広げられる乗馬の競技、ポロを眺めたと言われる。因みにポロはこのイスファハーンが発祥の地でもある。
(宮殿からの眺め)
それにしても宮殿とは言っても規模が小さ過ぎる様に感じるが、それは現在に残された部分が少ないからだ。今では宮殿の一部しか残されていないが、イマーム広場から離れた位置にあるチェヘル・ソトーン宮殿も、元はと言えば同じ宮殿の一部だった。
チェヘル・ソトーン宮殿は40本の柱の宮殿と言う意味だが実際は20本しか柱は無い。宮殿の前面に配置された池に写った柱を足して40となるのである。
此処も水と緑を巧みに利用したペルシャ式庭園であるが、砂漠に生きたペルシャ人にとって、水と緑は天国の象徴であり、それを表したのがペルシャ式庭園となる。その庭園はペルシャ語でパエリ・ダーサと呼ばれるが、それがギリシャに伝わりパラダイソとなり英語となってパラダイスになる。つまり、パラダイスのルーツはペルシャ庭園にある。
(宮殿の壁画)
また建物の前面に柱で支えた屋根を持つ開放的な空間を持つこの建築様式は、先に紹介したウズベキスタンのモスク等で見かけて似ていると感じた人もいるかと思う。中央アジア諸国はペルシャからの文化の影響が強く、建築様式もペルシャの建築様式が多く取り入れられている。
広場には芝生が敷き詰められ所々に涼しげな噴水が設けられている。広場の四方には二階建ての回廊が取り囲み、その内部はバザールとなっている。
広場の東西南北にはそれぞれ重要な施設が配置されている。東に王族専用のシェイク・ロトフォラー・モスク。西にアリー・カプー宮殿。南にイマーム・モスク。そして北には庶民の経済を支えるバザールの入り口と言う具合だ。
それでは先ずアーリー・ガープー宮殿から見ていこう。宮殿は広場で一際高い高層建築で、テラスからは広場全体を眺める事が出来る。王族はこのテラスから広場で繰り広げられる乗馬の競技、ポロを眺めたと言われる。因みにポロはこのイスファハーンが発祥の地でもある。
(宮殿からの眺め)
それにしても宮殿とは言っても規模が小さ過ぎる様に感じるが、それは現在に残された部分が少ないからだ。今では宮殿の一部しか残されていないが、イマーム広場から離れた位置にあるチェヘル・ソトーン宮殿も、元はと言えば同じ宮殿の一部だった。
チェヘル・ソトーン宮殿は40本の柱の宮殿と言う意味だが実際は20本しか柱は無い。宮殿の前面に配置された池に写った柱を足して40となるのである。
此処も水と緑を巧みに利用したペルシャ式庭園であるが、砂漠に生きたペルシャ人にとって、水と緑は天国の象徴であり、それを表したのがペルシャ式庭園となる。その庭園はペルシャ語でパエリ・ダーサと呼ばれるが、それがギリシャに伝わりパラダイソとなり英語となってパラダイスになる。つまり、パラダイスのルーツはペルシャ庭園にある。
(宮殿の壁画)
また建物の前面に柱で支えた屋根を持つ開放的な空間を持つこの建築様式は、先に紹介したウズベキスタンのモスク等で見かけて似ていると感じた人もいるかと思う。中央アジア諸国はペルシャからの文化の影響が強く、建築様式もペルシャの建築様式が多く取り入れられている。