シルクロードを西へ!イラン編シーラーズ2

 シーラーズにはもう一つ、旅人を呼ぶ見所がある。シーラーズ郊外に残された遺跡ペルセポリスだ。中東の3Pと言う言葉が旅人の用語にある。ヨルダンのペトラ、シリアのパリュミラ、そして此処イランのペルセポリス。中東を代表する遺跡の共通の頭文字Pを取って中東の3Pと称されるのだ。

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 クルアン(コーラン)門を潜ってシーラーズ郊外へ抜け、アケメネス朝時代の王家の墳墓、ナグシェ・ロスタムを経由して遺跡へと向かった。

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 ペルセポリスは紀元前512年頃アケメネス朝ペルシャ、ダレイオス一世が建設に着手、彼の子クセルクセス一世の手により完成した。人が暮らす都では無く、宗教的儀礼に用いられた都市だったのではないかと推測されている。

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 最盛期には西はエジプト、東はインドまで勢力を伸ばしたアケメネス朝ペルシャであったが、度重なるギリシャへの遠征で疲弊し、紀元前331年、遂にマケドニアを発したアレキサンダー大王の遠征によりペルセポリスは陥落、大王の手によって火が放たれペルセポリスは炎上。そして歴史の中に眠る事となる。

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 しかし遺跡に残された数多くのレリーフが当時の王朝の繁栄ぶりを今に伝える。レリーフには王家に朝貢する各国の人々が描かれているが、南はエチオピア、東はガンダーラと描き分けられ、王朝の勢力範囲の広さに驚くと共に、レリーフに描き分けられた当時の人々の姿や貢ぎ物の違いを見比べるのも非常に興味深かった。

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 遺跡のレリーフを眺め、当時の王家の勢力範囲の広さに驚くと同時にもうひとつ重要な事に気づいた。それだけ大きな勢力範囲を持っていたと言う事は、それにより、東へ西へと異文化の交流が促進され物品に留まらず、ものの価値観や哲学、文学等も東西へ伝達されたであろう事。

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 遺跡中に散らばる動物のレリーフは元々遺跡の屋根を支える為の装飾の一部だったと言う。その中に鷲の像がある。それはシルクロードを渡り中国で鳳凰になったと言われる。ならば西へ向かった鷲はフェニックスになったのではあるまいか?

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 南にエジプト、西にギリシャ、東にインド。当時の巨大文明を繋ぐ場所に位置したアケメネス朝ペルシャ。世界各地に残る伝説上の生き物もこの地を経由して世界に羽ばたいていったのかもしれない。そんな歴史ロマンに浸れる遺跡であった。