シルクロードを西へ!次なる旅へ!

 昨年、私はチベット旅行記を書いた。それがチベット仏教を国教とする世界で唯一の国、ブータンへ旅するきっかけとなった。今年に入って私はシルクロード旅行記を書き始めた。またムクムクとシルクロードへの旅の想いが募り始めた。

 私は当初シルクロード旅行記ウズベキスタンまでと考えていた。しかし奥底ではゴールまで書き進めたいなとも思っていた。ではシルクロードのゴールとはいったい何処?

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 シルクロードとは国と国が取り決めたものでもなければ企業が始めたものでも無い自然発生的な交易路であるから特定の定義は無い。学術的には東の基点は長安、現在の西安(中国政府は洛陽を主張)、西の基点はシリアのアンティオキアとされる事が多く、日本では一般的にローマとされる事が多い。

 しかし私はトルコのイスタンブールを西のゴールと定めたい。ローマ説でもイスタンブールからローマまでは海路での交易が一般的となる。シルクロードと言えばユーラシア大陸を陸路で貫く道こそがメインとなるから、その果てでもあるイスタンブールこそゴールに相応しいと思ったからだ。

 しかしウズベキスタンからイスタンブールへ一気に話を飛ばしてしまうのは味気ない。何かもう一つ書き加えたい、旅したい。そんな想いがあった。

 地図でウズベキスタンの西方を追えば、カスピ海に突き当たる。そのカスピ海を渡った先、カスピ海黒海に挟まれた地域をコーカサス地方と人は呼ぶ。ソビエト連邦解体に伴って、其処にはアゼルバイジャンジョージア(前グルジアアルメニアと言う三つの国が誕生した。

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 東にカスピ海を渡れば中央アジア、西に黒海を渡れば東欧。正にヨーロッパとアジアの狭間に位置する小さな地域に、一つのイスラーム国家と二つのキリスト教国家が犇めいている。

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 この地域は遥か太古から現代まで、ビザンティン帝国ペルシャ帝国、オスマントルコ帝国、モンゴルの来襲、ティムール帝国、そしてロシア帝国と数々の大国に翻弄されてきた歴史がある。

 コーカサスに暮らす人々は、そんな中を屈強なアイデンティティを持ち現世まで生き延びてきた。しかしそれ故にバルカン半島と共に一筋縄ではいかない複雑な民族問題も数多く抱える地域でもある。

 我々日本人にとって馴染みの薄い地域ではあるが、調べてみるとそこは濃厚な歴史と文化が凝縮している地域でもあった。旅への想いが募ってくる。ウズベキスタンの西にはいったいどんな国が、そこで私はどんな光景に巡り逢えるか?

 来る6月26日から、私はこのコーカサス三国を旅しようと思う。