シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ウシュグリ2

 それにしても長閑過ぎる風景に圧倒された。嘗ての血塗られた因習の塔も、今ではこの美しい風景の引き立て役に過ぎない。アルプス、ヒマラヤ、美しい雪山は世界中、いや日本にだってある。だけどこの塔がある風景は世界で此処だけだ。

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 そうこうしている内に村の外れの丘の上に到着した。そこには小さな教会がひとつ建てられていて、丘の向こうは最早山のみだ。私はそこからの風景に絶句してしまった。

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 もう年甲斐も無くはっちゃけてしまった。なんなんだよ!この景色。草を食べるお馬さんもまるで役者みたいだ。出来過ぎだろ?誰かが絵を描いて、それを現実にしてしまったかの様な景色がそこにあった。

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 村自体は小さく、4つの集落を合わせても2時間の日帰りコースでも十分楽しめる。だけどこの世界観に私は浸っていたかった。集落には簡単な喫茶と売店しかない。村民よりも動物達の方が圧倒的に多い。

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 農耕もままならないだろうこの地方で暮らすには牧畜に頼らざる得ない。しかしジョージアの牧畜界では檻に入れて飼うと言う概念は全く無い。家畜は全て放し飼いなのだ。牛さんもお馬さんも、豚さんも全て思い思いに村の中を歩き回っている。家畜天国がジョージアなのだ。

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 そんな畜産天国のジョージアだから乳製品が好きか嫌いかで天国と地獄が別れる。毎食これでもかとチーズを食べる。

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 4つの集落をのんびりと散歩する。牛さん達とはもうお友達だ。狭い道で出くわすと、目線で合図を送りながら、互いに避けあって道を譲ってくれる。なんか東京の人々よりもずっと意思疏通が出来る気がする。

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 それにしても、これ程直に牛と接するのは初めての事だが、余りにジェントルな生き物に感銘してしまった。嘗てインドでも牛は放し飼いだったが、彼等は何処か荒んでいた。多分彼等は神様なのでアンタッチャブルな存在。実は影ではそれが邪魔に感じているインド人も多く、でも神様だから手をつけられず、結果忌避されてしまう。反面此処ジョージアでは家畜として愛され大切にされているから、彼等も人には優しい。そんな違いが牛の態度に現れているのかもしれない。神様になるって事は孤独になるって事かもしれない。それは兎も角、帰国して以来牛肉を食べるのを躊躇してしまう私がいる。

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 私をウシュグリへと導いた、もう廃刊になってしまったが、コアな旅人が愛した旅行雑誌「旅行人」のコーカサス特集。

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 その表紙と同じアングルからウシュグリを眺めたく、その場所を探した。私なりに探し当てたのは絶壁の下。普通に散策していては絶対訪れないだろう場所。さすプロのカメラマンは目の付け所が違うと思った。

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 夕方、この地方で人気があったと言うタマラ女王の塔が建つと言う山の上に登った。宿の人に聞いても上に行けばあると言うだけ。此方も彼方も片言英語だから詳しく聞こうにも聞けず。ただ山の上に見え隠れする塔を目指して登っていく。
 
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 途中道を間違えた様でひたすら枯れ沢を這い上がる事に。執念で登り詰めタマラ女王の塔に到着した。山の上にポツリと過ぎる時間に委せたその姿はどこか侘び錆を感じた。

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 本来なら此処もシハラ山を見渡せる絶好のポイントなのらしいが、変わりやすい天気は最早山を覆ってしまったばかりでは無く、なんと遠くに雷の音。私が迷いながら登ってきたのは枯れていたとは言え沢、雷雨にでもなって激流になれば下山出来なくなってしまう。名残惜しいが早々と山を降った。

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 宿に到着し夕食を摂っているとずぶ濡れの旅人が帰ってきた。私はギリギリのタイミングで帰ってきたのだ。しかし夕食を摂り終える頃には雨も止み、遅い日没に西の空が染まっていった。良い一日だった。