シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・カズベキへ

 今回訪れるカズベキ迄はジョージア軍用道路と呼ばれる道を行く。名前の由来は19世紀に帝政ロシアコーカサスに侵軍する為に整備した道だからだ。が、平和が訪れれば、その道中の美しさで有名になり、今となってはジョージア随一の見所となっている。

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(ジュバリ聖堂)
 残念ながらガイドさんは昨日のお姉さんではなかったが、ツアーは定刻通り出発、30分程走るとジョージアの古都ムツヘタを通過する。バスの車窓からムツヘタのシンボル、ジュバリ聖堂が見えワクワクするが、ムツヘタは明日訪れるので後々紹介する。

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 更に車を進めダム湖であるジンヴァリ貯水湖の前でカメラストップ。皆思い思いに記念写真を写す。しかしガイドさんの集合時間に誰一人として集まらない。バスの中で一人待つ私が不機嫌そうに見えたのか、ガイドさんに大丈夫か?と尋ねられる。

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(アナヌリ教会)
 5分でも遅刻すれば大事となる日本は世界で一番時間に厳しい国であって、世界ではそれほど煩くない。それに加えヨーロッパ人は個人主義が強い。だから大抵こうしたケースでは毎度こう言う結果になる。集合時間には集まっても、未だ集まりきっていないと解ると平気で買い物にいってしまう。この繰り返しだからいつまで待っても全員集合出来ない。私から見ると、日本の子供よりたちが悪い。

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(アナヌリ教会湖側がイエス、手前がマリアに捧げられた二つの聖堂を持つ)
 でも日本の正確さが裏を返せば不寛容過ぎるのかもしれない。私もつくづく自分が日本人なんだなぁと思う。仕事なら未だしもこれは余暇なんだから。これくらい多目に見ないと世界では逆に白い目で見られる。此処は日本と言う島国では無いのだから。まぁガイドさんにとっては私は都合の良い存在かもしれないが…。

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 続いておとずれたのはアナヌリ教会、ジンヴァリ湖の湖畔に鉄壁の城壁に囲まれて、イエスとマリアの為に建てられた二つの教会が建っている。その湖畔に佇む美しい風景で一際有名な教会であるが、ジンヴァリ湖はダム湖であるから、教会は意図して湖畔に建てられた訳では無い、それどころか実はソビエト主導でダムが建設される時、幾つかの村と一緒にダムに沈む運命だったのだ。しかし自分の村が沈んでも、この教会だけは残して欲しい!懸命で敬虔なジョージアの人々の必死な活動が実り、教会スレスレでダムが設計され直す事となった。ジョージア人の敬虔な信仰の力が、この美しい風景を築いたと言えよう。

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(美しい風景を台無しにするロシア・ジョージア友好記念モニュメント)
 再び軍用道路を北へと進む。道はやがて登り坂となり。山は森林限界を越え、樹木が無くなった変わりに草が絨毯の様に山を覆う。やがて軍用道路はジョージアでも有数のスキー場であるグダウリを通過する。このすぐ西側は、先日紹介したジョージアが抱える民族問題のひとつ南オセチアの領土である。2008年当時は従ってここ周辺は紛争の最前線でもあったのだ。

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 グダウリを過ぎ、もう少し登ると軍用道路の最高地点である十字架峠に到着する。昔、周辺に暮らしていたイスラーム勢力との間で、自分の領土を示す為この地に十字架が建てられた事が名前の由来だそうだ。遥か以前から戸々は勢力争いが頻繁にあった事が伺える。そんな十字架峠にはソビエト時代に築かれたロシア、ジョージア友好記念塔なるものが聳えている。いかにもソビエトが作りそうな記念碑だが、南オセチアアブハジア問題も絡んで、ジョージアとロシアが犬猿の仲となった今、余りにも皮肉な記念塔であるばかりか、周囲の景観を著しく破壊していると感じる。

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 しかし、そこから眺める景色は、笑ってしまう程の絶景だった。まるで絵から飛び出してきた様な景色と言うと、使い古された表現だが、正にそれ。草の緑や空の青さえ、まるでクレヨンで描いた様な非現実的な色合いに思える。山の形も崖の配置も出来過ぎていて気持ち悪い程。何処からか紛れた馬なんて再び、やっぱりお前役者だろ!と突っ込みたい程だった。

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 こんな眺めの景色だから、解ってはいたが、誰もまともに戻ってこない。

「お前らカズベキ行く気あるのか?日が暮れてしまうぞ!」

 と心の中で何度叫んだか?漸く全員が揃って、今度こそカズベキを目指す。