シルクロードを西へ!イラン編シーラーズ1

 前回述べた通りシルクロードとは特定の国や企業が作ったものでは無く、自然発生的に出来上がった東西の交易路であるから、東西の起点となる街も、そのルートも決められたものでは無い。それ以上に自然発生的な交易路であるから、交易ルートは幾重にも分岐し、東西だけでは無く南北にも複雑に広がっていた。そんな中で東西の代表的な街が起点とされ、代表的なルートが現在のシルクロードと呼ばれているに過ぎない。

イメージ 1

(イランのタイル装飾)
 コーカサスの旅を始める前に、ちょっと南に寄り道して、此処も嘗ては広く広がったシルクロードの交易路の街だったイランの二つの古都への小さな旅を紹介したいと思う。

イメージ 2

(イランのタイル装飾)
 イランに行くと言えば、人々はまるで挨拶の様に、危ないのでは無いか?との返答が帰ってきた。確かに私が訪れた直前に、日本人の誘拐事件が起きた頃だったので仕方無いところはある。しかし中にはまるで中東情勢の達人かの様な口振りで忠告を与える人も出てきて私を苦笑させた。

イメージ 3

(イランの絨毯) 
 アメリカ寄りの日本の報道の洗脳は凄まじい。イランは愚か、海外にさえ出た事が無い人を中東情勢の達人に仕立て挙げてしまう。いや、実は彼等は行かないからこそ解らずに洗脳されてしまうのだ。イスラーム圏を悪く言うものの殆どは聞き返して見れば殆どがイスラーム圏を旅した事が無い人々だった。逆にイスラーム圏を旅した者はイスラームを絶賛する事が多い。

イメージ 4

(イランの絨毯) 
 それだけ口を揃えて脅かされると、ちょっとは心配になると言うものだが、それが真実だか、しかとこの目で確かめてやろうでは無いか!仕事の合間を縫って、私のイランへの弾丸の旅が始まった。

イメージ 5

(イランの壁画)
 私の小さなイランの旅では二つの古都を訪れた。先ず始めはシーラーズと言う街。庭園や花や緑が多い落ち着いた街でもあり文学の街でもある。

イメージ 6

(ハーフェズ廟)
 シーラーズにはイランの4大詩人のうち、二人の詩人の墓がある。大抵観光等で訪れる墓と言うのは王家だったり王妃だったり国の政治を司った者のものが殆どで、一介の詩人の墓に訪れる事は珍しい。しかしイランでは詩人はとても高貴な立場の職業であったらしく、また民衆の人気も高い。シーラーズの落ち着いた雰囲気は、こんな文学を愛する人々の街だからでもあろう。

イメージ 7

(サアディー廟)
 墓地と言っても日本の墓地が持つ、ちょっと寂しい様なイメージは全く無い。寧ろ庭園の様な趣で、イランの観光客が大勢で訪れ墓地のある庭園の散策を楽しんでいる。墓地に対する価値観の違いはあれど、こうして人々の憩いの場となると言うのも良いものだなと感じた。

イメージ 8

(サアディーの詩)
 ハーフェズ、サアディー、イランを代表する二人の詩人。ハーフェズはシーラーズを愛し、シーラーズから一歩も外へ出る事が無く、一方サアディーは彷徨いの旅人だったそう。二人の偉大なる詩人の墓地の散策を楽しんだ後はエラム庭園を訪れた。

イメージ 9

エラム庭園)
 エラム庭園は現在シーラーズ大学が管理しているペルシャ様式を代表する庭園だ。ペルシャは当時イスラーム界の文化的中心でもあり、周囲のイスラーム帝国から羨望の的でもあった。

イメージ 10

タージ・マハールの庭園)
 かのインドのムガル帝国の王妃、タージ・マハールに眠るムムターズ・マハールもペルシャ人で、彼女の為にペルシャ様式の庭園が築かれた。また西ではスペイン・グラナダに建つアルハンブラ宮殿の庭園もペルシャ様式の庭園建築が大きな影響を与えている。

イメージ 11

アルハンブラ宮殿フェネラリーフェ庭園)
 サアディー廟を散策している時、数人のイラン人が笑顔で親指を立ててきた。私が笑顔で

「それはどっちの意味でだ?」

 と答えると彼等は微笑みながら

「君が外国から来た観光客だからだよ!」

 と答えた。我々は固く握手を交わし他愛ない話題で盛り上がった。

イメージ 12

エラム庭園名物の薔薇)
 欧米とイスラーム、文字の書く方向も正反対だが、何かとライバル心を燃やすかの様に正反対な事が多い。欧米では親指を立てる仕草はグッド!の意味になるが、イランでは親指を立てると欧米で中指を立てたのと同じ意味になってしまうから要注意だ。(イランで親指を立ててヒッチハイクすると、来る車全てに喧嘩を売ってる事となってしまう(笑))

イメージ 13

(ヴァーキル・モスク)
 彼等は笑顔だったから悪意は無かったのだろうが、ちょっと私を試して見たかったのだろう。そして私がイランの慣習を知っていたから、親近感を感じてくれたのだろう。もしあの時、私がホイホイ親指を立ててそのまま返していたり、逆に現地での意味を憶測し腹を立てていたら、また違った結末になっていたかもしれない。

イメージ 14

(サアディー廟の装飾)
 彼等は茶目っ気たっぷりのヤンチャ坊主達であったが、彼等は勿論出逢う人皆親日家で愛想の良い人々ばかりで、彼等との出逢いは事前には危ない危ないと言われ、少なからずも緊張して私の心を解きほぐしてくれた。

イメージ 15

(サアディー廟にて)
 報道を信じイランを危ない国だとばかり信じている人々は、日本では髷を結った侍や芸者が街を闊歩していると思い込んでいる外国人と同じなのだろう。ブレずに来て良かったと本当に思った。