シルクロードを西へ!コーカサス編アゼルバイジャン2

 ホテルに到着して送迎を付けて良かったと思った。旧市街からは離れているし、個人経営の民宿にはゲストハウスの表示さえ無い。自力で向かっていたら見つけられなかった筈だ。しかしホストの彼は親切だし部屋も申し分ない。

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 早速荷物を置いて外に出た。並び立つ斬新なスタイルの高層建築、大きな通りを車がビュンビュン走っている。渡るのに躊躇していると黒塗りのベンツが泊まり先に行けと合図する。アゼルバイジャンではこんなケースが多かった。方向者を優先してくれる。これも余裕が成せる技なのだろうか?

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 宿はどうやら高級住宅街の高台に位置し、そこから階段を下りつつカスピ海の沿岸に位置する旧市街へと向かう。向かう先には紺碧のカスピ海が見え隠れする。

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 石造りの家並みが続く整備された坂道を下っていくと目の前にメトロの旧市街の最寄り駅が見えてきた。まるでルーブル美術館の様なガラス張りのピラミッドを持つ斬新な駅舎。しかし目の前にありながら駅側には渡れない。F-1バクー・グランプリはモナコと同じく市街地を走行するグランプリ。駅前もコースとなっている為、未だコース施設の撤去が終わっておらず、ピレリのロゴが入ったバリケードがそのまま立ち塞がっている。

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 本当は地下通路で簡単に渡れたのだが、見逃してしまった私は渡る場所を探して海方面へと足を進める。レースは終わっているので、途中撤去が進んでいる箇所もあるから、歩いていると突然コース内に入ってしまっている事もある。F-1コース内を通常の車がビュンビュン走っている姿も何処かシュールだし、F-1コース内を歩ける事もまた滅多に無い体験だろう。

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 しかし本当に終わった直後で良かったと思う。開催前ならコース立ち入りはもっと厳しく取り締まられるであろうし、レース開催中はコースの立ち入りどころか、周辺も人がごった返し、隣接する旧市街の観光もままならなかった事だろう。

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 そんなこんなで歩いている内に旧市街より先に殉教者の小径へ行く方が便利な場所へと出てしまったので、そちらに先に訪れる事とした。殉教者の小径は小高い丘の上にありバクー市内を見渡せる場所にある。ケーブルカーもあるのだが、動いていない様なので歩いて登る。目前にはフレイムタワーと呼ばれる石油で潤うバクーを象徴するかの様な高層建築が建っている。アゼルバイジャンは燃える水の出る場所、即ち石油の出る場所と言う事から火の国と言う意味がある。フレイム=炎のタワーは名も形状もアゼルバイジャンを表している。

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 殉教者の小径とはソ連末期から独立にかけての騒乱や、アルメニアとの紛争で無くなった戦士や市民達を追悼したもので、日本は靖国神社として宗教と結びつけてしまったが、海外ではこうした人々が集う見晴らしの良い場所や、シンボリックな場所にそうした記念碑を建てる事が多い。

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(フレイム・タワーと殉教者モスク)
 私はこうした手法は押し付けがましく無くて好きだ。此処に集う地元の人々、は兎も角、観光客の全てが此処で起きた歴史に耳を傾ける訳では無いだろう。だけどその中の一部の人達は目の前に広がる美しい景色だけでは無く、この場所の名前に起因する出来事を紐解こうとするだろう。

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 目の前には紺碧のカスピ海が広がっている。コーカサス山脈の南に出来た小さな三つの国。それは突然生まれた訳では無い。逆に日本、いやそれ以上の歴史を持った民族達だ。しかしローマ帝国ビザンティン帝国イスラーム帝国、ペルシャオスマントルコ、そしてロシア=ソ連と様々な列強の支配を受けつつ、アイデンティティを失う事無く堪え忍んできた民族。

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 だから故、それは時に激しい民族紛争を生む要因となり、この地方の火種となってきた。この旅行記で出来るだけその複雑な背景を伝えられればと思っている。