ミャンマー旅行記

バガン

ブータンの旅行記を書き上げながら、ずっと気になっていた場所があった。最終回で少し触れたミャンマーのバガンだ。海外資本や海外文化の荒波を必死で制御しているブータンと裏腹に、軍事政権から民主化へと移り変わったミャンマーは、正に海外の資本や旅人…

旅は感無量にて

最終日は半日猶予がある。しかし全くプランが浮かんで来ないのだ。遂に旅人として一番大切なものさえ出し尽くしたか・・・。有名所は昨日見てしまった。普通なら街歩きは楽しいものだが、最早東京とそれ程変わらない街を歩いて何になるのか・・・私は行き詰まって…

雨の台北

?ミャンマーに別れを告げ私を載せたチャイナエアラインは寄港地台北へと飛び立った。行きにも感じていたがこのエアラインは異常に機内を冷やす。それがサービスだと思っているのか?途中私は薄い毛布にくるまりガタガタと体を震わせていた。え?そんなの私だ…

ミャンマーに愛を込めて

シェーダゴン・パヤーを後にして、その両隣にある人民公園とカンドーヂ湖を散策した。二つとも軍治政権時代はひっそり閑古鳥が鳴いていたそうだが、クリスマスと言うこともありどちらも賑やかで暖かい雰囲気に包まれていた。庭園の綺麗さとか眺めより、私は…

黄金の仏塔

?東京、バンコク、いや何処だって同じだろうが、その国の首都と言うものは一番その国らしさが無い。しかし今のヤンゴンのダウンタウンは取り分け色彩豊かで何処の国にいるのか解らなくなる。インド人街、中華街、モスクもあればシナゴーグさえある。そして今…

迫り来るもの

私は屋台街でとあるミャンマー人のカップルと出逢った。男はビジネスマンで二人とも日本滞在が長いので流暢な日本語を話すから話が弾んだ。先ず私が話題にした事が 「さすがヤンゴンにはロンジーを纏う人やタナカを塗る女性が少ないですね!」 と民族文化が…

スーレーパヤー2

ベトナム戦争時、アメリカは積極的に戦場カメラマンを前線に送り込んだ。それは日本人を含む多くの戦場カメラマンが命を落とす事にも繋がったが彼等の撮った写真がきっかけともなり戦争反対の機運が高まりベトナム戦争は終結した。 (沢井教一撮影ピューリッ…

スーレーパヤー1

?ヤンゴンの東西南北を貫く大通りの交わる場所、即ち街の中心にスーレー・パヤーが建っている。その黄金の輝きを見た時、疼く足と共に胸がチリチリと焼ける様に痛んだ。 あれは2007年の事、アンコールワットとボロブドゥール、二つの大型仏蹟を巡り終え、残…

移動日 体が悲鳴をあげている

本日はバガンからヤンゴン迄バスに乗り10時間の移動。ダイレクトとしては飛行機を含め今回一番の移動時間となる。今回のバスもとても快適、ミャンマーのバスはサービス合戦なのかウエットティッシュにミネラルウォーターがついて来る。 最初の休憩は最近出…

1ドルの重み

カンボジアのアンコールワット、此処ミャンマーのバガン、貧しい国の遺跡の風物詩として絵葉書売りの少年少女の姿がある。子供の愛らしさと可愛そうが混じってたった1ドルだからと絵葉書を買う観光客は多い。しかしその1ドルって値段はこの国ではどんな価…

バガン 朝焼け夕焼け

遺跡には不思議なくらい朝焼けや夕焼けが似合う。遺跡は色彩に欠けるので、陰影が強く出る朝夕に撮影した方が良い写真が撮れると言う物理的、合理的側面もある。だが、私は長い間時が止まってしまった遺跡と言う存在が、日の出と日の入りと言う一日で一番時…

タマヤンジー寺院の亡霊2

?彼に言われた事を心に刻みながら、解らない時は自転車を降り、歩いて道を確かめながら、キチンと右に曲がる道を確認してから私は右に曲がった。その時また何か感じたんだ。再びチャンネルが変わる様なあの感覚。 私は感覚だけだけど、それを信じて自転車に…

タマヤンジー寺院の亡霊

慌ててダートの道を駆け出した。しかし砂に捕まって思うように運転できない。最後に残っていただろう車が老い抜かしていく。私は所々で自転車を押しつつ先に進んだ。 100円レンタルの自転車にライト等と言う最新兵器はついてない。手にする100円ショッ…

バガン遺跡を疾走する

?腹拵えが出来たら休む間もなく散策開始、壮麗なアーナンダー寺院を鑑賞し、その後脇道を入った所にある名所を訪れながらニューバガンに向かう。そこから舗装路に沿って見所を潰しながら一番名所が集まるオールドバガンに入る。こうすれば一回りのルートが出…

気球が舞って一日が始まる

?翌朝4時過ぎには起床して5時にホテルの鉄条を開け私の一日が始まった。昨日は勢いで走ったから何とかなったが、シェーサンドー迄の道程は約7キロ、それにアップダウンが微妙に繰り返されるので足に堪える。乾期のバガンは日中は暑いが夜になると上着が無…

バガンに陽が落ちる

世界遺産と日常生活について?此処に良い例がある。ドイツ、ドレスデン近郊のエルベ渓谷だ。世界遺産に登録された街は観光客で潤い活気づいていた。しかし人口増加に伴い渓谷を渡る為には慢性的な渋滞が起こり住民を苦しめていた。 しかし新しい橋を作ると景…

生きている遺跡

?さてバガンは広大な地域名で観光客の基地となる街は三つに別れる。まず一つがニャンウーと言う村で古くからこの地域の交通の要衝だった場所。それは今でも変わる事無く飛行場、バスターミナル、船着き場のどれからもアクセスが良く、当然安宿も此処に多いが…

遺跡は語る

マンダレーを後にして、この旅最大の目的地バガンヘと向かった。バガンはマンダレー近辺に王都が移されるまでミャンマー中央部に栄えた王朝で小乗仏教をこの地に持ち込み、最盛期は4万に及ぶ仏塔が建立されたと言う。今尚2千を越す仏塔が残されていると言…

ミャンマーの食事

?此処でミャンマーの食事について書いておきたい。夕食ではなんと言ってもカレーである。とは言っても外国人に理解しやすい様に便宜的にそう呼んでいるだけと思われ実際は大きく異なるし辛くも無い。現地ではヒンと呼ばれる。山羊ならサッターヒン、鳥ならチ…

アマラプラの落日

ザガインはバガン王朝が滅びた後に勢力を増したシャン族が此処に王朝を建てた後、何度か王朝が代わっている。今どの王朝の史跡も残ってはいないが、歴代彼等が奉ってきた仏塔が山を覆い、マンダレーと同じくザガイン・ヒルと言う大きな聖域を作っている。 頂…

ザガイン鉄橋を渡って

?現在のインワは昔王宮があったとはとても思えない風景が広がる。長閑な椰子が林立する大地には池が点在し、その中に雨季には水嵩が上がるのだろう高床式住居の村がある。それが今のインワだ。残る仏塔は寂れるまま規模もそれ程大きくは無く豊かな自然に飲み…

僧侶達の食卓

?車窓では無かったバイクの後から眺める景色はそれは最高だった。走り抜けていく車、人を物資を過剰に満載したトラック、バス。アジアだなぁとつくづく感じさせるが之ももうすぐ終りかもしれない。 車が増えすぎたヤンゴンでは最早バイクタクシーは認められ…

バイクタクシーに跨がって

朝、私の用意が済むと早速バイクタクシーの運チャンはやって来た。私の経験上こうした個人経営の運チャンは決して約束の時間を違え無い。バンコクのバスのアジアンタイムなのと大違いなのだ。不思議なものだ。 ?街で捕まえるのと違く予約していたからだろう…

マンダレーヒル サンセット

?雨の多いミャンマーらしく登山路は全て屋根で覆われているから暑い日中でも快適なのだが、仏教に敬謙なミャンマーでは登山路も聖域なので靴は疎か靴下もアウトだ。雰囲気的には高尾山と言ったところか?高さはそれの半分以下だと感じた。 ?お土産屋さんが軒…

マンダレーの王宮

?さてホテルに荷物を置いたら早速マンダレーの街巡りだ。マンダレーはイギリスの植民地にされる迄ミャンマー最期の王朝があった古都だ。王宮を中心に街は碁盤目状に整備されている。解りやすいとも言えるが逆に目立つものが少ないので位置を見失い易い。私は…

懐かしき再会

?私を載せたエアアジアは1時間ちょっとでミャンマー第二の都市マンダレーに到着した。(政治的役割ではヤンゴンに代わりネーピードーが首都となった為第三) 目星をつけていたホテルに入った時、懐かしい笑顔に出会った。それははにかんだ様な東南アジア独…

いつだって始まりはバンコクから

ライトアップされたワットアルンをチャオプラヤ川越しに眺めていると様々な思い出が去来する。バンコクは東南アジアの、いや世界のハブとなる街だ。だから東南アジア、中東、そしてアフリカへと旅する毎にこの街を訪れ、そして目指す先へと旅立っていった。…

In the biggining

チャイナエアラインで順調に台北で乗り継ぎを済ませ、経由地バンコクに到着した。値段が安い為かバンコク直行便は豊富にある筈なのに沢山の日本人がこの乗り継ぎ便を利用しているのには驚いた。 しかしもっと不思議に思う事がある。あれ程いた筈の日本人がバ…