マンダレーの王宮

?さてホテルに荷物を置いたら早速マンダレーの街巡りだ。マンダレーはイギリスの植民地にされる迄ミャンマー最期の王朝があった古都だ。王宮を中心に街は碁盤目状に整備されている。解りやすいとも言えるが逆に目立つものが少ないので位置を見失い易い。私は中東の迷路的な街の方が歩くのが楽しい。碁盤目状だと目的地が解ってしまうので最初っから精神的に疲れてしまう。

ホテルを出て碁盤目に沿い王宮を目指した。王宮の周囲に張り巡らされた掘りに出た。その東西南北の中心に門がある。しかし私は見落としていた事がある。観光客は東門からしか入場出来ない事を。それを教えてくれたのはバイクタクシーの運チャンだった。ガイドブックを確かめると確かにそう書いてある。(これは海外では重要な事で、勝手な情報を訳の知らない観光客に教えて自分の商売に有利に使う輩が多い。親切な人もいるが、さりげなく事実かどうかのチェックは欠かさない方が良い)

王宮の敷地は一辺3キロ。その門から入って中心迄また1キロ半。迷路で迷いながらならあっという間だろうが、最初に距離を突き付けられると痛い。それを知って運チャンが商売を始める。

私は極力何とか自力で歩きたい、そしてその街の大きさを、その街の雰囲気を掴みたいと思っているから辞退して歩きはじめた。初めて見るマンダレー、初めて見るミャンマーの人々。道路にはけたたましい車。どれも中古の日本車。だけど車線は日本と逆。つまり日本で全て外車が走っている様なもの。危なく無いのか?聞けば余りにも日本車の人気が高く人がそれに慣れてしまったらしい。

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なんとか歩いて王宮に到着した。再建されたものではあるが立派なものだ。至るミャンマー建築に見られるが、門等で多様される多層の背高ノッポの三角屋根はネパール等のヒンズー建築を彷彿させるし、王宮の配置等は中華様式の影響を感じる。(マンダレーミャンマーの中央部に位置する為、南端のヤンゴンより中華的影響が来いし、今も多くの中国人が華僑として流入している。)屋根が多層でひさしが一階の半分近くまで覆っているのは、雨の多い東南アジア独特の建築スタイルと言える。

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さて王宮を出てマンダレーヒルに向かう。と再びバイクタクシーの運チャンが待ち構えている。王宮の出口は一つしかないから私の行動なんて見透かしているのだ。

「良く歩いたな!ストロングマン!今度は何処行くんだ?マンダレーヒル?疲れたろ乗ってけよ!」

悪い奴では無い、と言うより乗りの良い男だったが、マンダレーヒルをバイクで登っては意味が無い。マンダレーヒルは登山路は整備され、登る所々に仏像が配置され、つまり山全体が聖地となっている場所で、そこをバイクで一気に駆け抜けては御利益は無いと言うものだろう。

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(サダムニーパヤー)
また私は辞退して途中他の寺院に立ち寄りながらマンダレーヒルを目指した。