いつだって始まりはバンコクから

 ライトアップされたワットアルンをチャオプラヤ川越しに眺めていると様々な思い出が去来する。バンコクは東南アジアの、いや世界のハブとなる街だ。だから東南アジア、中東、そしてアフリカへと旅する毎にこの街を訪れ、そして目指す先へと旅立っていった。(だからこそ世界中のバックパッカーが集結する。)

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 それまでアメリカやヨーロッパ等先進国ばかり旅してきた私を、アジア、アフリカの旅へと導いた、その出発点とも言えるバンコクは私の旅の原点とも言える街。それだけ思い入れも深い。

 取り分け思い出深いのは11年の暮れ、アフリカ・マリへの旅で訪れた時の事。あの旅自体トラブル続きで不安との戦いの旅だったが、出発直前、エチオピア航空の度重なるキャンセルに計画が頓挫し、ケニア航空に買い直した矢先の事だった。例年に無い大雨でチャオプラヤ川が増水し経由地であるバンコクが水没した。

 日に日に状況は悪化しバンコク北部のドンムアン空港は水没し機能を停止した。洪水は利用するスワンナプーム国際空港までジワジワと接近、このままでは再び旅がオジャンになってしまう・・・日々ニュースを見る度に唇を噛み締めた。

 結局、神に願いが届いたかギリギリのタイミングで私はバンコクを経由し目指すマリへと飛び立った。それ以降も苦難の連続だったが、念願を叶え、その帰り道バンコクに降り立った。私がいつも訪れる屋台街では排水ポンプが唸りながら溢れた水を汲み上げていた。

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 カオサン通りに戻り、名物パッタイ(タイ風ヤキソバ)で腹を満たし安宿に戻った。私の旅の様々な始発駅となったバンコク。今回はどんな旅になるだろう?

 翌朝、いくら待っても頼んだ筈のシェアバスが来ない。アジアンタイムなのである。スワンナプーム空港迄は鉄道が出来たがドンムアン空港は車のみだ。そもそもスワンナプームに国際空港が出来てドンムアン空港は寂れる一方だった。しかし今回利用するエアアジア等格安航空会社が利用する事で再び空港に活気が戻った。

 私は嫌な予感がしてきた。鉄道が出来る迄、バンコクの渋滞は世界的に悪名高く、これでフライトに遅れる搭乗客が後を絶たなかった。宿の人が心配してくれて電話をかけてくれたりもしたが、シェアバスは一向に来ない。私は頭に来たが諦める事にした。

 日本円にすればたった300円の事である。それでこれから始める旅を棒に降る事は出来ない。タクシーを捕まえてドンムアンにせき立てた。案の定の大渋滞、なんなるか?最悪の場合に備えて乗り遅れたら、どうタイを楽しもうか?未だ訪れた事の無い北部チェンマイスコータイ遺跡を織り交ぜて・・・

 そんな事さえ頭を過ぎらせていたら、路肩走行も取り入れて頑張ってくれたタクシーの運チャンのお陰で無事間に合う事が叶った。ちょっとだけチップを上乗せした。タイ人の風習なのだろうが、手を合わせて深々とコップンカー(ありがとう!)と言われると、逆にこっちが恐縮してしまう。こちらも手を合わせてコップンカー。どんなに経済が上向きになっても手を合わせる風習が残るバンコク。素敵だと思う。

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さぁ素敵な旅が始まろうとしている。