生きている遺跡

?さてバガンは広大な地域名で観光客の基地となる街は三つに別れる。まず一つがニャンウーと言う村で古くからこの地域の交通の要衝だった場所。それは今でも変わる事無く飛行場、バスターミナル、船着き場のどれからもアクセスが良く、当然安宿も此処に多いが遺跡は少ない。私が宿泊したのも此処。

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(ニャンウーのマーケット)
 もう一つがオールド・バガン。即ち歴史地区で昔から住んでいた村民は殆ど移住を迫られ現在は高級ホテルが数件ある。勿論遺跡からのアクセスは此処が一番。

 更に南方にあるのがニュー・バガン。移住させられた住民で出来た新しい街。オールド・バガンから遺跡は点在しているが物価はそうじて高め。

 早速自転車を漕ぎ出した私が向かったのはニャンウーの村外れにあるシェーズィゴン・パヤー。スリランカ、インド北部等様々な建築様式がバガンには残るが、ミャンマー人が好む形式が定まったのがこの仏塔(パヤー)なのだそうである。だから住民にも大人気で村にも近いせいもあるかもしれない。例の如く金ぴかに輝き遺跡的な風情は何処にも無い。

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 バガンカンボジアアンコールワットインドネシアのボロブドゥールに並んで世界三大仏蹟に挙げられるが唯一世界遺産に認定されていない。

 その理由に軍事政権時に敷地近くに高速道路やゴルフコース、展望台を作ってしまった事。遺跡の修復にセメント等、歴史上と異なった修復が為されている事が挙げられる。

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 私が見た限り、高速道路はバイパスの様なもので平原を利用してい作られているし、ゴルフコースも展望台もかなり中心から離れていて、目くじらを立てる程も無いと思われる。

 それ以上に考えなければいけない事は歴史上の建築を捩曲げない事についてだと思う。

 しかし日本の城の再建を振り返っても目茶苦茶なものであり、コンクリート製エレベーター付きは当たり前、中には天守閣の存在した過去が無い城に天守閣が作られていたりする経緯がある。我々だって、歴史上のものを歴史上そのままでと言う価値観を身につけ始めたのはついこの頃の事なのだ。

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 更に之まで私は見てきて、感じて来た事がある。此処ミャンマーの人々は金箔を施す事に信仰心を感じて生きている。そんな彼等が毎日祈っている場所に金箔を貼るなと誰が言えようか?

 また遺跡とは言え彼等は敬謙に祈り続ける。彼等は信仰上裸足で境内に上がる。11世紀に作られた境内の石は削れ尖り足の裏に突き刺さる。それを平らにするなとどうして言える?

 まさか全部の遺跡をとは言わないが、彼等の日常生活や信仰を奪って迄の世界遺産なら世界遺産の意味とはいったいなんだろう?

 バガンは外部者にとって貴重な遺跡かもしれないが、現地の人にとっては生の日常なのである。

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注)このミャンマー独特の境内では裸足にならねばならない決まり。暑い日中の遺跡の床はゴツゴツし、しかも飛び上がる程暑い。裸足には酷な環境だ。これを長時間歩いた事。その後のハードなサイクリングがこの後、私の足に深刻なダメージを与える事となる。