遺跡は語る

 マンダレーを後にして、この旅最大の目的地バガンヘと向かった。バガンマンダレー近辺に王都が移されるまでミャンマー中央部に栄えた王朝で小乗仏教をこの地に持ち込み、最盛期は4万に及ぶ仏塔が建立されたと言う。今尚2千を越す仏塔が残されていると言う。

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 バガン王朝は11世紀に興り仏塔を建設を続けた。しかし仏塔を作るには多くの煉瓦が必要になる。それを焼く為には多くの樹木が必要だった筈だ。今でさえ樹木は回復しているものの、バガンは雨の少ない地方。当時の過剰の森林伐採は農業に大きな悪影響を与えた。

 寄進した仏塔や寺院からは税収は取れない。バガン王朝は衰弱していった。そこにつけこむ他民族との戦いに更に衰弱したバガンは蒙古来襲はトドメだった。彼等は朝貢する事で何とか生きながらえたが、シャン族に滅ぼされた。

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 この歴史をふまえ、我々はバガンを笑えるだろうか?私は自分に問う。例え仏塔を作った事が土地の興廃と税収の縮小を招いたとしても、当時の人はそれこそ平和への近道だと信じていたからこそそうした訳だ。今の我々だって同じ事。

 例えば原子力。そこからはそれまでの常識では考えられない程のエネルギーを得られる。しかし我々はその過程で生まれてしまう猛毒の物質を処理する方法さえ知らぬし、もし不足な自体になれば致命的な結末になる事は我々も4年前に痛いほど身に染みた筈だ。

 しかしながら経済と言うもう一つの現代の信心からすれば、そのリスクを背負っても私達は原子力を信じて生きる道を選ばざる得ない現状がある。勿論未来の事は解らない。原子力廃棄物の処理法を編み出し、平和活用出来る未来もあるだろうし、全く逆に世界核戦争でも起きたなら、その後の文明を築いた人間達はきっと冷笑するのだろう。まるでバガンと一緒だなと・・・

 私は遺跡を訪れる度に思う事がある。その遺跡の残した高度な文明に舌を巻く一方、それでさえ彼等は滅んだのだ。遺跡は私達に語りかけてくる。それは現在の文明に対する警鐘だと。

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 そんな事を思い馳せていると3時間半バスはあっという間にバガンへと到着した。宿に着くと慌てた様にはにかんだ少年が迎えに出る。バガンは広大な遺跡で徒歩では回れない。一般的には馬車をチャーターする。自分で回りたいなら自転車だ。

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 ゆっくり馬車で巡るのも風情があるなぁ。私は迷っていたので食事をしてからと思ったが、目の前の貸し自転車屋が「飯食うにも自転車合った方が便利だろ!」と言う。それもそうだな!と思った瞬間私の運命は決まった。価格も相場の半分で驚きプライスだった事もある。一日100円!

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注)価格の下落には、多くの観光客が電気自転車を選ぶ様になったのが理由では無いだろうか?暑いバガンで慣れない自転車での強行軍は確かにしんどく私の体力を奪ってしまった。ただ電気自転車は充電と言う問題があり、また故障した時の心配もある。