迫り来るもの

 私は屋台街でとあるミャンマー人のカップルと出逢った。男はビジネスマンで二人とも日本滞在が長いので流暢な日本語を話すから話が弾んだ。先ず私が話題にした事が
「さすがヤンゴンにはロンジーを纏う人やタナカを塗る女性が少ないですね!」
と民族文化が失われつつある感想だった。

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ヤンゴンには急激な海外文化が流入している。押し寄せる華僑や韓流ドラマの影響で若い世代は欧米文化と変わらないファッションとなっている様だ。そして民族衣装が敬遠されるのは日本の着物とも共通する。ロンジーは男女とも着用するが、下着は履かない。満員バスに両手に荷物を持てば、ロンジーがズレても直せない。民族衣装では迫りくる新しい文化に対応出来ないのだ。

然しながらビジネスマンである若い彼等は残念がる私を余所にどこか嬉しそうだった。

「街のあそこにはロッテリアもありますよ!韓国のじゃない、日本からのです。だって私の弊社がお手伝いしましたから!」

弊社と言うフレーズに笑いそうになったが、彼等は世界的なブランドがヤンゴンにも出来たことを自然と喜んでいる様だった。そりゃそうだろう!寂しがられる謂れは無い。「マックなんて無い国へ旅しよう!」「地球の歩き方が出版されてない国へいきたい!」なんて旅人の浅ましい考え方に過ぎないのだから。

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我々日本だって発展と共に古き良き文化を一つ一つ失ってきた。彼等が発展を喜び、快適な生活を手にしようとしているのを妨害なんて何故出来よう?古い伝統を守っていて欲しい。それはただの傍観者としての旅人の浅ましい我が儘ではありやしないか?ただ、ただ、地方で見たロンジー姿の頬にべったりタナカを塗った少女のはにかんだ笑顔を思い出すとやっぱり・・・

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勿論発展は喜ぶべき事ばかりでは無い。子供がl急激に成長する時、骨や関節が痛むものだが国だって同じだ。ミャンマーはまた格別だ。何せ持ってて固定電話だった人々が急激にスマホを持ちはじめたのだ。日本なら二十年すっ飛ばしたくらいの勢いだ。街にはいたるところギクシャクした貧富の差と時代の差に満ちていた。私が生まれる以前に走っていた様な車と最新式のセダンがゴッチャになって道を埋める。

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ヤンゴンは急激な不動産バブルだと彼は言う。どうやらバブルと言う単語は津波と並び日本発信の世界共通の言葉だ。酷い場所では東京の田園調布やシンガポール以上だと彼は言う。「そんな馬鹿な?」私は思わず古ぼけたヤンゴンの町並みを見回す。

「だって今食べてる料理だって100円みたいなものだよ!」

「そうだよ!土地の価格が収入に全く見合って無い。クレイジーな話さ。」

「それを操作しているのは麻薬シンジケートさ。(かつてミャンマー北部タイ、ラオスの国境が交わる場所はゴールデントライアングルと呼ばれ麻薬の恰好の栽培場所だった。)彼等は1万で買えるものを5万で買う。そしたらその売価はどうなる?こちらはお手上げだが、それでも欲に飢えた外資系の金持ち達は手に入れる。急激なインフレの出来上がりだ!」

「今は海外の資本もドンドン入って仕事は多い。それが過ぎ去った時の事を考えると恐いよ・・・」

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そう言うと彼は箸を止めて空を見上げた。