黄金の仏塔

?東京、バンコク、いや何処だって同じだろうが、その国の首都と言うものは一番その国らしさが無い。しかし今のヤンゴンダウンタウンは取り分け色彩豊かで何処の国にいるのか解らなくなる。インド人街、中華街、モスクもあればシナゴーグさえある。そして今新と旧、富と貧が入り混じりその色彩はサイケテリックで目も眩む程。

 そんなダウンタウンの散策を終えヤンゴン随一の見所シェーダゴン・パヤーにタクシーで向かおうとしていると、シェーダゴン!シェーダゴン!と連呼する声!乗合バスだ!と気づきコッチもシェーダゴン?と聞き返すと返事する前に背中を押され車内へ押し込まれた。一般バス、タクシー、価格競争の中、回転率勝負なのだ無駄な時間は済まされない。

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 車は酷い音を立て発進する。そしてまた次の角でシェーダゴン!の繰り返し。満載になって漸く順調に走り出す。ミャンマーの街は年々ネズミ算状態で車が増え渋滞が酷くなる一方だ。車が止まればその隙に車掌が怪しい液体の入ったペットボトルを車に濯ぐ。

 アジアからアフリカにかけての貧しい国の道路脇で何やら得体の知れない液体が入ったペットボトルを良く見かける。よっぽど喉が渇いていようと決してそれらを買って飲んではいけない。

 先に登場した若者が教えてくれた。今この渋滞の4割方は違法、即ち無免許運転、突然車が増えすぎて免許が追いつかない。なぁにミャンマーはコネ社会だから無免許でも賄賂次第で車は乗れる。だけど無免許だと政府公認のガソリンが買えない。でも大丈夫!道路脇でペットボトル見たことあるだろ!それが闇ガソリンさ!

 ガソリン補給は停車してる隙にちょっとづつ!何せ回転率最優先なのである。揺れる車内の木造の床の隙間から見えるボコボコの舗装道路を見ていると、マンダレー近郊で渡った木造の橋ウー・ベイン橋を思い出す。そんな事をしている内にバスは目指すシェーダゴンに到着、降ろす人を終えると早速何やら地名を車掌は連呼する。

 シェーダゴン・パヤーはヤンゴン、いやミャンマー最大にして最高位に位置するパヤーだ。残念ながら今回は5年に一度の金箔の張替えで完全な姿を拝む事は叶わなかったが仏塔だけに留まらず境内の規模としても今まで見てきたパヤーの中でも最大のものだった。

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 ミャンマーでは生まれた月日よりも曜日が重要とされ、何故か水曜だけ午前午後に別れ、則ち八曜日あり、それぞれ守護神が決められており、人々はその守護神に対して祈りを捧げている。

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 それにしてもこう見ていると不思議だ。いや黄金の仏塔自体は之まで多く見すぎてしまい何処か食傷気味なのだが、之だけ黄金の仏塔を築く国なら国民は如何に?と思えばみな余りにも慎ましい生活を送っている。

 然しながら今経済成長と大きな明るい目線の下で、私達の想像を絶する経済格差が生まれ初めている。この国は之より何処へ向かうのか?

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 この土地に聳え、幾つもの王朝の変遷を小高い丘から見下ろして来た黄金の仏塔を眺めていると感じる事がある。これ迄幾数もの国が興きそして滅んでいった。その内の幾つかは遺跡となって今に残る。しかし先年の時を経て変わらないものがある。それは人々の信仰。ユダヤ、キリスト、イスラームそして仏教。

 それは何故か?国や権力は服装の様なもの、つまり外面。時に権勢を思うがままに振るい時代の寵児となろうと、時と共に廃りいずれ時の需要が無くなれば衣服は新しいものへと買い換えられる。しかし信仰は人の心の内に在るもの。つまり内面。それは親から子へと受け継がれ決して廃る事が無い。

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 今ミャンマーを席巻しようとしている資本主義が通り過ぎても、時の権力者達が争いを巻き起こそうと、いやミャンマーと言う国が無くなったとしても、人々は未来永劫この仏塔に金箔を施し祈り続ける事だろう。仏塔に手を合わせれば大好きな物語の冒頭が自然と口から流れ出す。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
奢れる者も久しからず
ただ春の夜の夢の如し
猛き者も遂には滅びる
ひとへに風の前の塵に同じ