バガン

ブータン旅行記を書き上げながら、ずっと気になっていた場所があった。最終回で少し触れたミャンマーバガンだ。海外資本や海外文化の荒波を必死で制御しているブータンと裏腹に、軍事政権から民主化へと移り変わったミャンマーは、正に海外の資本や旅人が殺到する中にあった。

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バガン的風景 シェーサンドー・パヤーより)

 そんな事もあり、久し振りにミャンマーバガン旅行記をネットで検索しては読み耽っていたのだが、自分の情報不足を痛感する事となった。なんと昨年8月に起きたミャンマー中部の地震に因り、幸い人的被害は無かったものの、遺跡は少なからず被害を被り、中には長期の修復を要するものもあると言う。また、登る事が出来なくなった仏塔もある様だ。

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(2016年地震後のスラマニ寺院 写真は引用)

 更に遡ったその年の3月、政府に因り一時期全ての仏塔への登頂が禁止となった事。現地の観光業の猛反発により、5つの代表的な仏塔に限って従来通り登る事が許可されたと言う事も知った。

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(筆者旅行時のスラマニ寺院)

 その禁止となった理由は旅行者の信仰を冒涜する様な態度の数々にあると言う。私が訪れた頃も、欧米系を中心に、タンクトップ等、宗教的に望ましくない姿で仏塔に登る旅行者を多数見かけたし、中国人を筆頭に、大勢で詰めかけ大騒ぎをする等、宗教施設に相応しくない行為を多く見かけ、不愉快にさせられた。

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(嘗て登れる仏塔の代表だったBulethiも地震の影響+政府の指針で当分登れなくなりました。)

 こうした政府の発表に、観光業者や旅人は一斉に不満の声を挙げたが、果たしてそれは正しい事だろうか?

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( Bulethi からの展望)

 例えば、日本の社寺に、多くの海外からの観光客が詰め寄せ屋根に登って景色を楽しんでいたらどう思うだろう?

「屋根は登るものじゃないから!」

 と言う声が聞こえてきそうだが、仏塔も階段こそ付いているものの、本来そこに登って景色を楽しむ場所では無い。地元の人々の信仰の場所なのだ。

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(Bulethiからの展望 )

 お金を払ってるから自由に旅させろ!とは傲慢な考え方だと思う。我々はその信仰の場所を有り難く登らせて頂き、風景を見せて頂いてるに過ぎない。それに反する事をした上、追い出されたのなら反論しようも無い。5つの仏塔に登らせて頂けるのなら、それは温情と言うものだ。

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(Bulethiからの夕陽 )

 しかし毎年旅行者がうなぎ登りに増えているバガンで、バガンの目玉商品とも言える仏塔の上から眺める朝焼けや夕焼け、これが5つの仏塔に限定される事で、一層混雑し、危険が増える可能性も否定できない。

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(Bulethiからの夜景 )

 すると安全性を高めよ!との声が高くなる。手摺をつけろ!だの安全柵を設置せよ!とか…。これにも疑問を感じる。

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(朝焼け、夕焼けの名所シェーサンドー・パヤー、此方は健在ですが、大混雑が予想されます。)

 そもそも何故バガン世界遺産に認定されないのか?それはバガンの修復が歴史的価値観にそぐわない修復作業が行われてきたからだ。しかし反面バガンは地元の人々にとっては遺跡では無く、生きた寺院と言う意味合いが深い。そうした実利性も、求められた結果歴史的価値観と反故が生じた部分も大きい。

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(シェーサンドー・パヤーからの朝焼け)

 だとするならば、観光の為に歴史的には存在しなかった手摺や安全柵を設ける事も歴史的価値観にそぐわない行為に当たるのでは無いか?地元の信仰にはケチをつけて、自分達の利便性の為なら筋を曲げるのでは説得力に乏しい。

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(シェーサンドー・パヤーからの朝焼け)

 危険性を鑑みるのなら、下手に構造物を追加するより、整理券を配布する等して入場者数を制限する方法の方が好ましいと感じる。

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(シェーサンドー・パヤーからの夕焼け)

 観光誘致で得られる富、と外国人が持ち込む悪習の狭間で、地元の信仰が蔑ろにされていく…。観光を制限しても、自国のアイデンティティ確保に努めるブータンを旅した直後だけに考えさせられる事件だった。

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(シェーサンドー・パヤーからの日没後)

 今回の地震で崩壊した箇所は、その多くが現代になって修復された部分が殆どとの事だ。如何に太古の建築が強固に作られたかを実証する事となったが、更に今回の地震で皮肉にも、遺跡は、世界遺産認定で問題となった現世での修復部分が破壊され、出発点にリセットされたとも言える。

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(軍事政権が修復する前のスラマニ寺院、上の写真と比べると、今回の地震に因り失われた部分が、軍事政権が修復した場所である事が良く解る。写真は引用)

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(Pyathada寺院も健在ですが、奥まった立地にあります。)

 今後の修復に当たっては、第一に地元の人々の信仰の対象として、第二に世界遺産を視野に含めた、歴史的構造物を後世に残す為の修復が期待される。我々旅人はあくまで第三者なのだから、三番目であるべき事だと思う。

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(Pyathada 寺院からの夕焼け)

 勿論バガンの仏塔から眺める朝焼け、夕焼けは世界で無二な風景であり、今後とも世界中の旅人に楽しんで貰いたい。だからこそ旅人一人一人がその恩恵を被れる様に、立つ鳥後を濁さない様心がけてくれる事を祈るばかりだ。

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バガンに滞在した三日間、私は自転車に乗りバガンを疾走した。帰国後巨大なマメが出来、歩行困難になる程疾走した。最終日、夕景、夜景を楽しんで遅過ぎな時間に自転車を返却に向かった。もう店仕舞いを終えた店主夫婦が心配そうな、でも満面の笑顔で出迎えてくれた。それは遠い昔、悪戯三昧で恐る恐る帰宅した時、両親が向けてくれた笑顔と一緒だった。私にとってバガンは特別な場所だ。

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